いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

地元がない

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は免許の更新をしました。無事故無違反の優良ドライバーなので、ついにゴールド免許です。ちなみに教習車以外の車は運転したことがありません。世の中の皆さんのために、と考えると私が運転するほど危険なことはないので、致し方ないことです。

 

さて、わたしはいままでに6回引っ越しをしています。1ヶ所に住んでいた期間は、1番長くても6年ほどです。なので、あまり地元という感覚がありません。生まれたのは東京の西の方ですし、いまは両親も東京にいるので、「どこ出身?」と聞かれたら東京と答えますが、いまいちしっくりきません。東京が嫌いなわけではないですが、特別な感情とか、安心感とか、そういうものがあるかといえば特にないというのが正直なところです。

 

大学生のころ、友人たちは全国いろいろなところから来ていたので、よく地元の話になりました。そういうときに、みんな自分の地元を自慢したりするのが不思議だなあと思いました。長期休みなどには、みんなが当然のように「地元に帰る」といいますが、わたしは両親の住む東京に行くことを「地元に帰る」と表現するのにはなんとなく抵抗があって、「実家にいく」とか「東京にいく」とか言っていました。

 

地元ってなんだろう、と今でもふと不思議に思います。何年以上住んでいたら地元、とか、生まれたところが地元、とか、そういう決まった定義があるわけではありません。やっぱり感覚的な問題で、自分が地元だと思ったらそこが地元だ、みたいなものなのでしょうか。

そう考えたときに、自分にとって地元って思える場所はどこなのかなあ、と考えてみたのですが、愛着がある、という意味では京都なのかなあと思います。単純に学生時代の思い出フィルターがかかっているだけのような気もしますが、逆にそういう思い出フィルターで成り立つのが地元っていう概念なのかも、と思ったりもします。

じゃあ将来的に京都に住みたいかと言われると、またそれも違ってくるので難しいところです。なんだかんだいって東京は便利ですし、住む家さえ確保できてしまえばとてもいい街だと思います。京都、夏はめちゃめちゃ暑くて冬はめちゃめちゃ寒いですし・・・。

そうなってくると、京都が地元と答えるのもなんだかおこがましい気がしてきます。結局一周まわって、やっぱり私には地元がない、というのが答えなのかもしれません。もしかしたらこのままずっと東京に住んでいたら、自信をもって「東京が地元です」と答えられるようになるかも、という薄らとした期待もありながら、飽き性な私がずっと同じところに住むなんてあるのかなあ、と自分を疑いながら、地元がある人って素敵だなあと思うのでした。

新サイト、準備中です

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は成人後いちばん体重が減りつつあります。なんだかちょっとからだが軽いです。減った分の体重をペットボトルの本数で換算すると、そんなに背負って歩いてたらそりゃしんどいわ、という感じです。階段を上るのがしんどくないというだけで感動です。

 

さて、最近新しいサイトの準備をしています。就職活動に関するサイトです。そんなわけで、就職活動をしていた大学生の頃のことを思い返しています。

 

大学生のころは、とにかく世の中がどういう仕組みになっているのか知りたくて、ひたすら本を読んでいました。

いまの世の中の中心は金融だ、なんてことを考えて金融工学を勉強していたのですが、金融工学をやっているとどこにでも出てくるのが金利です。ふと、当たり前のように存在している金利ってなんだろう?と思い立ち、調べているうちに、歴史やら宗教やらを通って、気づくとマルクス経済学にたどり着いていました。

 

そこからは、資本主義ってなんだろう、ということを考える日々でした。いまでもこの疑問の答えはよくわからなくて、勉強しているところです。大学生のころは、たぶんその疑問の答えの欠片もわかっていませんでした。けれどなんとなく違和感はあって、資本主義をぶっ壊すにはどうしたらいいんだろう、なんてことをわりと真面目に考えたときもありました。さすがにぶっ壊すのは難しいと思い至って、その次に、資本主義の外側に出るにはどうしたらいいんだろう、と思うようになりました。ちょうど周囲が就職活動だなんだと騒がしくなってきたころです。

 

宗教の世界なら資本主義とは切り離されているんじゃないか、なんて考えて、出家の方法を調べたこともありました。Google検索に「出家」と入れたら、サジェストで「出家 方法」というキーワードが出てきました。私と同じことを考えている人がいるのかなあ、なんて思ったりしました。

けれど、そのころちょうどAmazonのお坊さん便や、お布施の金額を料金表のように表示する寺社が出てきたことが話題になっていました。宗教の世界にも資本主義の力は及んでいるんだなあ、と思って出家は諦めました。

 

その次に思い付いたのが公務員でした。公務員なら、利益のために働いているわけではないし、資本主義の外側といえるんじゃないか、と考えました。

これは、いま思えばとても単純で考えなしだったなあと思います。結果として公務員になってしまったわけですが、資本主義の外側というよりは、資本主義の上に乗っかっているようなものだったと思います。

 

いろいろあって、ベンチャーネットで働くようになりました。営利企業です。当然、どうやったら会社が儲かるか、利益が出るか、ということをいつも考えています。けれど、今までで1番資本主義から遠いところにいるような気がしています。不思議です。

 

なんでかなあ、といろいろ考えているのですが、人とのかかわりみたいなところに答えがあるような気がしています。大学生の頃は、なんとなく孤独でした。友人がいなかったわけではないのですが、もともと人見知りしがちなのもあって、友人たちとの付き合いもどこか表面的な部分があったのかもしれません。あくまで社会の中の1つの駒として他人とかかわっているだけで、ひとりの個人として誰かとかかわることはなかったように思います。それは就職して公務員になってからも一緒です。同期や先輩方との交流はありましたが、それもやっぱり組織の一員として、みたいなところがどうしてもありました。

 

公務員をやめて、何の肩書きも所属もなくなってはじめて、ひとりの個人として他人とかかわるということができるようになった気がしています。ベンチャーネットに入ってからは、もちろん「ベンチャーネットのタケダ」ではあるのですが、ちゃんと個人としてのタケダの部分も持ち続けられているように感じています。それは、個人の考えとか生き方を尊重してくれるベンチャーネットだからこそだなあ、と思っていて、すごくありがたいことです。

 

もちろん、資本主義の恩恵に預かって生活していますし、もはや今の世の中でそこから完璧に抜け出すことは不可能です。大学生のころは、そのことに反発する気持ちがありました。けれど、それを受け入れたことで、いますごくバランスを保って日々を過ごしていられるんだと思います。

 

私はたまたま、資本主義ってなんだろう、というところから社会に対するもやもやを感じていたのですが、きっとこれから就職活動をしようとしている人たちの中にも、いろいろなところから似たようなもやもやをもっているんじゃないかなあ、と勝手に想像しています。新しいサイトは、ぜひそんなもやもやをちょっとでも晴らせるようなサイトにしていきたいなあと思いつつ、準備をがんばっていこうと思います。

 

 

物語が好きです

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは、夏休みがおわって仕事をがんばっています。ダイエットも引き続きがんばっています。夏生まれなので、夏はわりと元気です。寒くなる前にもうひと頑張りしていきたいなあ、というところです。

 

さて、夏休みは本をたくさん読みました。ふだんはどうしてもビジネス系の本が多くなってしまうので、久しぶりにのんびり小説を読みました。いつもは小説といえば大好きな森博嗣さんの作品くらいなので、せっかくなので他の作家さんの作品も読んでみよう週間です。

 

この夏に読んだ中では、柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」がとても面白かったです。

タイトルの通り女性がたくさん登場するお話です。いろいろな悩みとか、コンプレックスとか、もやもやしたものをみんなもっていて、それを持て余して他人にひどいことをしてしまったり、気づかないうちにストーカーみたいになってしまったり。

みんな紙一重のところで生きていて、ちょっとしたきっかけでそのバランスが崩れてしまったりして、わかるなあ、そうだよなあ、という気持ちになりました。

 

子どものころは本といえば小説だったのに、大人になるとどうも気が付くと小難しい本ばかりになりがちです。けれど、やっぱり小説っていいなあ、と思います。

自分ではいろいろなことを経験しているつもりでも、どうしたって人ひとりが見たり聞いたりなにかできることなんて限られています。なにか新しいものに出会ったとき、自分が経験してきたことだけで対処しようとしても、難しい。そんなときは、想像力をがんばってはたらかせて、なんとかするしかありません。

小説を読んで、いろいろな人の人生とか、体験とかを追っていくことで、そういう想像力がうまく使えるようになるんじゃないかなあ、という気がしています。

これからはもうちょっと小説を読む時間も増やしていきたいなあ、と思った夏休みでした。

山っていいな

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は夏休み最終日、箱根でまったりしながらブログを書いています。箱根まで行ってブログかよ!というひとりつっこみをしつつ、ぼっーとする時間があると筆が進むなあ、という感じです。

 

さて、というわけで旅行です。たった1泊、それも東京から箱根なんてすぐじゃん、という感じですが、旅行です。最後に旅行なんてしたのいつだろう、と思って記憶をたどったら、そういえば春先に日帰りで出張の予定が新幹線の終電に乗り遅れて1泊したなあ、というとても微妙な記憶しかありませんでした。あれは旅行ではない。

 

それくらいひさしぶりだったのですが、旅行ってすごく簡単になったなあ、と思います。今回はとくにひとりですし近場で1泊というのもありますが、準備といえばベッドでごろごろしながらネットでホテルと高速バスの予約をしたくらいです。ちょっと前だと、ネットで予約しても予約票だなんだを印刷して忘れずに持ってきてね、なんていうのが多かったと思うのですが、ホテルは受付で名前を書くだけですし、バスはメールで送られてきたQRコードを読み取る機械がバスについてるしで、いつもの荷物に1泊分の着替えを加えてふらっと出かけるだけ、というなんとも気楽なものでした。

 

そんな気楽な感じで、朝から温泉に入って、おいしい朝ごはんを食べて、まったりしています。ホテルのお庭がとても広いので散歩したり、ラウンジでお茶をしながら本を読んだり、ただただまったりした旅でした。

 

どうしてひさしぶりに旅行しようと思ったかといいますと、単純にストレス解消です。新しいことをやってみる楽しさもありつつ、やっぱり緊張感も日々あって、どうにも最近疲れているなあ、と思っていました。なんだか時間に追い立てられているような感じといいましょうか。

 

移動が面倒だから都内の高級ホテルに1泊とかしちゃうかー、なんてことも考えたのですが、最近はまっているメンタリストDaiGoさんの本に、自然に触れることのストレス解消効果は大きい、と書いてあったので箱根にしました。海のない岐阜県で育ったので、海より山派です。たしかによくわからないけれど、山とか木とかって見ていると落ち着くなあと思います。あと、富士山もいいですね。なんとなく眺めていると、富士山ってやっぱり大きいなあ、みたいな単純な考えしか浮かんでこないので、ただただぼっーとできるような気がします。

 

そんなわけで、とてもリフレッシュできました。年に2、3回くらいこんな風にふらっと箱根に行くというのもありかもなあ、と計画中です。ストレスって、ないとないでつまらないので、私はついいろいろ詰め込もうとしてしまう癖があるなあ、とさいきんようやく自覚しました。それはそれで楽しいところもあるので、詰め込みつつ、適度に息抜きを入れつつ、またあしたから頑張ろうと思います。

夏休みです

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしはただいま夏休み中です。夏休み中なのにブログは書くのか、という感じですが、半分仕事で半分仕事じゃないみたいなものなので、せっかくだから書いておこうというところです。

 

さて、大学を卒業して東京に戻ってから、早5年以上が経ちました。わたしはいろいろなところを転々としており、高校生までのあいだに東京(23区)に住んでいたのは3年で、それとあわせると8年ちょっとになります。他のところに住んでいたのは、京都に4年とか、岐阜に5年とかなので、30年弱の人生の中で、いつのまにか東京が一番長く住んでいる街になりました。そう考えると都会の人間といっても間違いないはずなのですが、いまだにどうも東京になじめている感じがしません。

 

東京、人の多い街です。私の家は23区の中でもはじのほうにあるので、そこまでではありませんが、ちょっと買い物に出ようとすると平日でも週末でもとにかくたくさん人がいます。渋谷とか新宿とかなんていくと、いったいどこにこれだけの人が暮らしているんだろう、と思ったりします。

 

そんな人の多い東京も嫌いではなかったりするのですが、お盆のこの時期は、東京もいつもよりちょっと人が少なくなって、なんだか新鮮な感じがします。みんな地元に帰ったり旅行にいったりしているのでしょう。よくいくお店もなんだかいつもよりちょっとまったりした雰囲気です。夏だなあ、と思います。時間の流れがいつもよりちょっとだけ遅くなっているような感じです。

 

そういえば、大学生のときに住んでいた京都は、いつもこのくらいのスピード感だったなあ、となんとなく思い出します。いや、もしかしたらもっとゆっくりだったかもしれません。けれど、よく考えると、わたしが京都にいたころはようやくスマートフォンが普及し始めたところだったので、街の問題というよりも、そういう技術の進歩の問題かなあ、と思ったりもします。もしかして、いま京都にまた住んでも、あのときの時間の流れとは変わってしまっているのかなあ、と思うと少しさみしくなります。

 

そんなわけで、まったりした気持ちでブログを書いています。なので、とくにオチはありません。夏休みなので仕方がありません。今年の前半は、気付いたらわーっと過ぎ去ってしまって、いろいろなことがあったなあ、という感じです。あと何日か夏休みをのんびり過ごしたら、またわーっと頑張ろうかなあ、と思います。

楽しいことをする

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは部屋にスタンディングデスクを導入しました。といっても、机を買い替えたわけではなく、いままで使っていた机の上に、小さな机をのっけただけです。今も立った状態でこのブログを書いています。意外と快適です。遅ればせながら流行り(?)にのってみたところです。

 

さて、私はできるだけ楽しいことをして生きていきたいなあ、といつも考えています。最近は、仕事とか、トレーニングとか、楽しいことが多くてとてもうれしいです。あとメンタリストDaigoさんのニコニコチャンネルにもはまっています。お風呂上がりの動画タイムの楽しさが増しました。

 

けれど、楽しいってなんだろう?とあらためて考えてみると、これはとてもむずかしい問題です。ぱーっと遊ぶとか、買い物するとか、そういうことの楽しさもあれば、仕事とか、トレーニングとか、しんどいけど楽しい、みたいなものもあります。

 

いろいろ考えていて、ふと思ったのは、「なんのためにそれをやっているのか?」というところかなあ、ということです。何か目的があったやっていることだったら、当然その目的が達成されたときにうれしさとか、楽しさとか、ポジティブな気持ちがうまれます。あるいは、目的が達成されたときのことを想像して、わくわくする、ということもあるかもしれません。

 

けれど、これには少し問題もあって、がんばったけれど目的が達成されなかったときにどうなるか、ということです。やっぱりそのときはなかなか楽しいとは思えないだろうなあ、と思います。むしろ悲しいとか、むなしいとか、ネガティブな気持ちになってしまうことのほうが多いです。やりきるまでの途中の道のりでも、目的が達成されたときのことを想像する人もいれば、反対に「失敗したらどうしよう」「目的が達成できなかったらどうしよう」と心配になって、途中の経過を楽しめないこともあると思います。

 

そう考えると、何か目的があってやること、というのは、楽しくなる可能性もあるし、そうではない可能性もあるし、というちょっとした賭けのようなものかもしれません。なので、そういう賭け事が好きだ、という人には向いているのかなあ、と思います。

 

わたしはどちらかというと心配性なほうなので、賭け事のようなものはあまり好きではありません。なので、「何か目的があってやる」ことよりも、「特に目的はなくて、それをやること自体がなぜかよくわからないけど楽しい」ことのほうが向いているなあ、と思います。

 

例えば、少し前にはじめたランニングも、以前は「なんでみんなわざわざ走ったりするんだろう」と思っていました。けれどやってみたら、確かによくわからないけど楽しいのです。別に移動するためなら、もっと早くて便利で楽な方法があります。健康のため、というような目的もあるかもしれませんが、健康のためならランニングまでしなくても、ちょっと多めに歩くぐらいで十分、という話もあります。ダイエットというのもありましたが、ダイエットにはランニングうんぬんより食事次第だなあ、と気付き、むしろいまはランニングをもっと楽しくするために身体を軽くしたいなあ、という謎の逆転現象が起きています。

 

もちろん、なにか目的をもってがんばる、というのも素敵なことです。けれど、そればっかりでは疲れてしまいます。目的をもってがんばることもやりながら、けれど「よくわからないけど、とにかく楽しい」という自分の感覚も大切にして、バランスよくやっていきたいなあと思います。

なくなるもの、なくならないもの

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは夏休みを楽しみにしながら働いています。今年は温泉に行くことにしました。パソコンを置いてまったりしようと思います。ホテルでお茶を飲みながら本を読む予定です。大人になったなあ、という感じです。

 

さて、私はさいきん断捨離したい欲が高まっています。だいたいテストの前とか、仕事が忙しいときとかによくあらわれる現象です。ダイエット中なので、痩せたら新しい洋服を買って、今の服を整理しようと計画中です。クローゼットをひっくりかえすの、楽しいです。

 

日々生活していると、どんどんいろいろなものが身の回りに増えていきます。資本主義だなあ、と思います。ものだけではなくて、肩書きとか、属性とか、そんなものも気が付くとついてきます。面倒な世の中です。

 

たまに、自分がもっているものと、自分自身との区別がつかなくなるようなときがあります。ブランドものを持っているから、自分もそのブランドと同じくらいすごい人間なんだ、みたいな感覚といいましょうか。反対に、ボロボロの服を着ているとなんだか自分もすごくダメな人間になったような気がしたりします。

肩書きなんて特にそういう力が強いと思います。ひとりの個人としての自分がいなくなって、おでこに肩書きを書いた紙を貼り付けて歩いているみたいな感じです。

 

最近は、そういう感覚になっても、「あ、これはダメなやつだ」と自分でなんとなくわかるようになりました。なので、いったん落ち着いて自分と自分がもっているものとを切り分けることができるようになってきた気がします。

 

そういう感覚に気付けるようになったのは、一度ぜんぶなくなったことがあるからかなあ、と思います。体調を崩して、前の職場をやめたとき、「京大卒」とか「キャリア官僚」とかそういうものがすべて意味のないものになりました。日々生き延びるだけで精一杯で、ずっと同じパジャマを着ていましたし、大好きだった本も頭に入らず読めなくなりました。身の回りにあったものなんて、ないも同然の状態でした。

 

そのときは本当につらくて、これほんと死ぬんじゃない?なんて今考えると大げさなことを真剣に感じていて、けれど、そんなことを考えているということは生きているということでもあります。何もないけれど、生きているし、だからこそ身体のいろいろなところが痛くて辛かったりもする。

 

少しずつ元気になって、頭がはたらくようになって、なんにもなくなったけど生き延びちゃったなあ、と思いました。けれど、意外とそんな状態は楽しくて、身軽で、なんだかなんでもできるような気がしました。

 

いまもっているものは、いつかなくなるかもしれません。自分と自分がもっているものとの区別がつかなくなっているときは、「それを失ったら自分は自分でなくなってしまう」ととても不安になります。そのおかげで頑張れることもあるかもしれませんが、人間がんばれないときだってありますし、頑張っていても失ってしまうことはあります。

 

けれど、いろんなものがなくなっても、意外と人は生き延びてしまうみたいです。そして、いろんなものがないほうが、身軽で、自由で、新しいことができるようになったりもします。

 

いろんなものがあふれている世の中で、ついついそういうものに縛られてしまうことがあります。なので、たまに落ち着いて自分と自分のまわりを見渡して、自分が縛られているなと気付いたときには、それを1つずつほどいて、できるだけ身軽にしていきたいと思います。