いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

運がいい

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは親知らずを抜きました。5年ぶりくらいに麻酔をしてもらったのですが、最近はいきなり注射をするのでなくて、先に表面麻酔をするんですね。注射をされる感覚がほとんどなくて、こどものころに苦しんだあのイヤーな感じはなんだったんだろう・・・と思いました。技術の進歩、すごいです。

 

さて、わたしはとても運がいいです。宝くじに当たったことはありませんが、これまでのいろいろなことを思い返すと、いろいろな偶然のもとで、結果的にすごく幸せな生活ができているなあと思います。もちろん、日々いろいろなことがあって、嫌だな、とか、なんでこうなるの、というときもありますが、全部ひっくるめて考えればとても運がいいよなあと思うのです。

 

周りの人にも恵まれていると思います。わたしが「苦しい、助けて」といったときに助けてくれる人たちいてくれるのはとてもラッキーなことです。でもそれだけではなくて、たぶん「助けてあげよう」というような考えがなくてしてくれたことが、私にとってはすごく助かることだった、なんてこともしばしばあります。「ありがとう」と伝えて、「なんのこと?」なんて言われると、わたしは運がいいな、と思います。

 

けれど、私が運よく楽しくへらへら生活していると、「たまたま運が良かっただけで、どこかできっと失敗したり転んだりするから気を付けなよ」というようなことを言う人もたまにいます。

例えば、わたしは中学校も高校も受験しているのですが、どちらも行きたかった学校に入れたという話をすると、「そういうタイプは大学受験で失敗しやすいよ」なんて言う人がいました。それを聞いて、「確かに大学受験までそううまくいかないかもなあ」と思っていたのですが、ラッキーなことに無事に行きたい大学に入って、楽しい大学生活を送ることができました。

大学生になると、今度は「ずっと受験でうまくいっていた人って就職でつまずきやすいよ」なんてことを言われました。「確かに、就職は受験みたいに運よくはいかないだろうなあ」と思っていたのですが、無事に官庁に就職しました。2年ほどで辞めてしまったので、「ほらやっぱり」と言われるかもしれませんが、私としてはしんどくも楽しい2年間でしたし、早めに辞めたことで今の仕事をできているので、まあ結果オーライでやっぱり運がいいな、と思います。

 

あまりにも自分の運がいいので、運って人に分けられないのかな、と考えたりします。けれど、運がよくなる方法、なんて本や記事はよく見かけるのに、運を分ける方法、というのはあまり見かけません。

ただ、そんなことを考えながら周りを見回してみると、なんだか私の周りには運がいい人が多いような気もします。むしろ、私がみんなから運を分けてもらっているのかもしれません。

分けるというより、移るというか、じんわり染み込んでひろがっていくような感じでしょうか。運って、不思議なものです。運がいい人同士のあいだを繋いでくれているのかなあという気もします。

 

なんとなく、これからも運のいい人たちに囲まれて、運よく楽しく生活できるんじゃないかな、という予感がしています。ときには大変なことやしんどいこともあるかもしれませんが、きっとなんとかなる、の精神でがんばっていきたいと思います。

ひとやすみ、ひとやすみ

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは毎日パンダさんが投稿してくださるシャンシャンの写真と同じポーズをしてみる遊びにはまっています。最近シャンシャンが活発すぎて、マネするのがむずかしいことが多いのですが、主にぐだっとしているやつが得意です。

 

さて、あっという間に6月になりました。関東は今日、梅雨入りしたそうです。春だから、という理由で4月にはじめたこのブログも、毎週1記事かいて、これで10回目です。はじめたときは、5月にはきっとへばっているだろうな、と思っていたのですが、我ながら意外にがんばっています。

 

最近は、休みをとるのがうまくなったな、と思っています。

以前は、周りのパワフルな友人や同僚たちと同じようにしなくては、と思い込んでいました。ほんとうはものすごくしんどくても、仕事の依頼や飲み会などの誘いを断れませんでした。せっかく久しぶりに休める日に、ほんとうは1日寝ていたいくらいなのに、友人から声をかけてもらうとつい出かけてしまっていました。わたしは昔から体力がないタイプで、そのことをコンプレックスに感じていて、それを隠そうと必死になっていたのだと思います。

 

ランニングをはじめたりして、体力づくりをがんばっていますが、すぐに結果がでるものでもありません。むしろがんばって走った日にはいつもよりぐったりしてしまいます。けれど、そんな自分のいまの状況をみとめて、自分にできる範囲でがんばったり、休んだりすることが大事なのだと、ようやく受け止めることができるようになりました。

 

友人からの誘いだって、よく考えれば、毎回応えなくたって嫌われたり誘われなくなったりするわけではありません。元気な日は楽しめばいいし、疲れている日は休めばいいだけです。シンプルに考えればいいのに、いぜんのわたしはなぜかすごく複雑に考えていたのだなあ、と反省しています。こんなシンプルなことを、どうして理解できなかったのだろうと、今ではむしろ不思議に思うくらいです。

 

こどものころ、よく風邪をひいて、学校を休みました。そんなとき、ぼーっとする頭で、一休さんのアニメの再放送を見ていた思い出があります。あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

まだまだ体力なしの私です。けれど、最初は1キロ走るのもやっとだったのが、2.5キロ走れるようになりました。(3キロまであとすこし・・・!)

あわてないで、ひとやすみしながら。少しずつ体力もつけて、がんばっていきたいなあと思います。

たてよこななめ

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

私は腹筋ローラーをがんばっています。さいきん腹筋ローラーの話しかしていないような気もしますが、きっと気のせいです。楽しいのでよしとします。

 

さて、私は大学を出てから新卒でとある中央官庁に就職しました。中央官庁は、ご想像のとおり、いわゆる縦社会です。係員、係長、課長補佐、課長、審議官、局長・・・なんて、役職がはっきりしていますし、入省した年によっても上下関係があります。えらい人たちの名前をならべて書くときに、A局長とB局長とか、同じ役職のひとが複数いるときは、さきに入省したひとから順番にします。なので、だれが何年に入省したかを覚えておかないといけません。ちなみにわたしは覚えられませんでした。なんで50音順じゃダメなんだろう、とずっと思っていました。

 

けれど、これはあくまでも仕事のときのお話です。仕事のときには、たくさんの人がいる職場では特に、責任の所在をはっきりさせるために、上下関係はそれなりに大事だと思います。名前をかく順番とかはあんまり意味がないような気もしますが、ルールを決めて面倒をなくそうということかもしれません。

 

飲み会なんかでは、意外にフランクだったりします。人によっていろいろだとは思いますが、よくある料理の取り分け問題も、「めんどくさいからみんな好きにとって食べろ」という先輩が多かった気がします。私はちょっとお酒を飲むとすぐに顔が赤くなるので、きづくと先輩方が頼んでくれたウーロン茶が目の前に3杯並んでいた、なんてこともありました。みなさん優しいです。

 

仕事では上司と部下だったり、先輩と後輩だったりするわけですが、職場を離れればみんな同じただの大人です。ただの大人どうし、お互いを思いやって大事にする。下っぱの私にもそんな風に接してくれた先輩たちは、とても素敵だなと思います。

 

人間どうし、いろいろな関係があります。わたしは、先輩方がしてくれたような「よこ」の関係が好きだし、心地よいと思います。仕事はともかく、日常生活で上下関係とか考えると疲れてしまいます。さいきん会社ではわりと古株?になってきてしまって、仕事以外のところでも、あとから入社したメンバーに気を使ってもらってるなあと感じることもあるのですが、「よこ」の関係を大事に、大人どうし、思いやって、お互いを大事にできる関係を作っていきたいなあと思っています。

まっすぐしか投げられない

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

私はとてもねむいです。ふと思い立って腹筋ローラーなんて買ってしまったからでしょうか。腕とお腹がぷるぷるするのですが、なかなか楽しいです。だけどとてもねむいです。

 

さて、もう少し古いお話かもしれませんが、「忖度」という言葉が話題になりました。官僚が得意とかいうあれです。私も短いあいだとはいえキャリア官僚の端くれだった人間として、忖度なんて当たり前でしょ、とかいいたいところなのですが、残念ながら苦手です。苦手だから辞めたのではないか、という説もあります。

 

なぜわたしは忖度するのが苦手なんだろう、と考えてみたのですが、思い出してみると、「言いたいことは自分の口ではっきり言いなさい」と我が家では昔から言われていたような気がします。いつだったか、姉と姪っ子と食事していたところ、「のど乾いた」という姪っ子に対し、姉は「そういうときは何て言うの?」と返しました。姪っ子は、ハッとした様子で「お茶くださーい!」と答えていました。そうです、お茶がほしいならお茶がほしいとはっきり言う。20年以上前と同じやりとりが目の前にありました。

 

そういうわけで、わたしは自分が何かしたいとか、何かしてほしいとか、してほしくないとか、そういうことをぜんぶ言ってしまいます。社長には、「タケダさんはいつもドストレート剛速球」と言われます。すいません。

 

いろいろ複雑な人間関係があったりとか、事情がある場合もあると思います。だから、必ずしもストレートだけでなんとかなるわけではないかもしれません。けれど、ふだんの生活の中では、ストレートで十分なんじゃないのかな、と思うのです。

 

カーブがいいかな、やっぱりフォークかな、いやここはスライダーか!なんてあれこれ考えて、変化球を投げて、うまくいかなくて、相手がボールを落っことしたりして。それにいちいちイライラしたり、悲しんだりしていたら疲れてしまいます。とりあえずまっすぐに投げてみて、避けられたり打ち返されたりして、それで十分な気がするのです。受け取ってもらえたら儲けもん、くらいです。

 

あまりいろいろ考えるのは大変です。自分のてもとにボールがあるのなら、とりあえずまっすぐに投げてみる。伝えたいことをシンプルに伝える。もちろん大人なので言葉遣いには気をつけますが、わたしはこれからもシンプルにまっすぐ投げるスタイルでいきたいなと思います。

いままで興味がなかったことをやってみよう週間

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは最近そばにはまっています。そばおいしいです。特にとろろそばが好きです。おろしそばも好きです。

 

さて、わたしは定期的に「いままで興味がなかったことをやってみよう週間」を実施しています。実施しているといっても、なんとなく新しいことをやってみようという気になったときに、心のなかでそう名付けて、なんとなくひとりで楽しんでいるだけです。

 

最近だと、ジョギングをはじめました。せいぜい週に2回くらいですが、走ってみるとなんとなく楽しいです。小学生のときから運動が大の苦手だったわたしからすると奇跡みたいなできごとですが、興味がなかったことってやってみると意外と楽しいな、と思います。ちなみに全然関係ないですが、運動は大の苦手だったのに、一輪車だけは得意でした。放課後、小学校のグラウンドを、一輪車にのって無限に回っていました。あれなんだったんだろう。

 

少し前には、ネイルをはじめました。よく、「爪がきれいだとテンションがあがる」みたいな話を聞きますが、「そんなわけあるか」とずっと思っていました。けれど、なんとなくやってみたら、確かにテンションがあがりました。5歳の姪っ子もわたしのマニキュアを見て「かわいい!」とテンションがあがっていたので、やはり何か不思議な力があるようです。マニキュアを買うのも楽しいです。なんであんなに無限に色の展開があるんでしょうか。塗ってみたら思っていたよりハデな色だったりすると、なおテンションがあがります。

 

それまで興味がなかったことをやってみるときに、「どうしたの?」と聞かれることがよくあります。だいたい特に理由はありません。なんとなく、やってみようかな、とか、人にすすめられて、やってみてもいいかな、とかそんなものです。あまり深く考えずに、なんとなく始めてみたことのほうが、楽しく感じるような気もします。

 

初めてやってみることは、最初はだいたいうまくいきません。ネイルはムラだらけで、はみだし放題でした。ムラにならないように、筆にとるマニキュアの量を調整するとか、ベースコートをぬるとか、はみ出したら綿棒で拭くとか、あとから知って、「なるほど」となりました。試してみたらうまくいって、「私やればできるな」と思いました。

初めてジョギングをしてみたときは、道に迷いました。あと、ものすごい筋肉痛になりました。ちゃんと地図を調べたり、ストレッチをしたりしたら解決して、これまた「私やればできるな」と思いました。

 

新しいことをやってみると、この「私やればできるな」がたくさん出てきます。たぶんこれが楽しいの素だと思います。あまりいろいろやると疲れてしまうので、少しずつですが、またしばらくしたら何か今は興味のないことをやってみようと思います。

言い訳しなくていいほうが楽しい

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

私は2キロ走れるようになりました。成長です。人はおやつを食べなくても生きていけるし、おやつを食べなければ痩せるということも学びました。圧倒的成長です。

 

さて、わたしは今年の2月に「起業の教科書」というサイトの運営担当になりまして、Twitterも担当することになりました。そこで最初にこんな自己紹介をしました。

たしかこのブログの最初の記事でもお話した気がするのですが、この通りわたしは基本的に午後からしか出社しません。ついでにいうと、週に1度は(勝手に)自宅勤務日にしているので、出社するのは週4日です。

子どものときから朝起きるのが苦手で、20年以上いろいろがんばったりもしましたが、やっぱりダメでした。なので、開き直って午後から動くことにしたのです。(そしてそれを受け入れてくれる会社に感謝です。ありがとうございます。)

たまにお客さんとの打ち合わせなどでどうしても午前中に出社しなくちゃいけないときは、がんばったりもします。がんばると社長がほめてくれます。「私やればできる子なんです」と自画自賛したりもします。

 

こんな生活をするようになって1年ほどたちますが、自分でもびっくりするくらい体調がよくなりました。なぞの頭痛とか腹痛とか、起こらなくなりました。風邪をひく回数も減ったような気がします。うっかりベンチャーネットランニング部とか入っちゃうくらい元気です。

 

気持ちの面でも、なんだか以前より前向きに働けるようになった気がします。たぶん、「朝苦手なんで・・・」という言い訳をしなくてよくなったからかな、と思っています。

朝起きるのが苦手なので、前の職場ではよく遅刻をしていました(ごめんなさい)。それに、やっぱり午前中は頭がぼんやりしてあまり仕事が進まないし、細かい作業をするとミスをすることも多かったです。

こういうときに、どうしても「しょうがないじゃん、朝苦手なんだもん。朝苦手なのにがんばって仕事してるのに、なんで怒られなきゃいけないの」みたいな、はたから見たらものすごく理不尽な、ものすごくイヤな感じの気持ちでいっぱいになってしまっていたような気がします。

けれど、こんな言い訳を心の中でしていたら、自分もイヤな気持ちになるし、周りの人だってイヤな空気を感じていたでしょうし、何もいいことはなかったと思います。

 

今は、午後からしか働かないので、こんな言い訳をすることはできません。何かミスをしてしまったら、素直に謝るしかないです。「なんでこうなっちゃったんだろう?」「あのときあれ確認しとけばよかった」という考えにすっと入れます。

 

言い訳「できない」というより、言い訳「しなくていい」って、こんなに楽なんだなと思いました。うまくいったときも、うまくいかなかったときも、素直にその状況を受け止めることができます。そういう状態でいろいろがんばってみるのは、とても楽しいです。

今でもたまに、「仕事が多い」とか、「おなかすいた」とか、「朝苦手」以外の言い訳をしてしまうときもあります。けれど、できるだけ言い訳「しなくていい」ようにしていって、もっともっと楽しくやっていこう、と思っています。

主役も脇役もないのがいい

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

私はゴールデンウィーク後半、いきなり熱を出しました。1日お布団と仲良くして、なんとか元気になりました。

 

さて、おかげさまで元気になったので、昨日は姪っ子とトーマスの映画を見に行きました。トーマス、子ども向けだと思っていたら、なかなか面白いお話でした。

(続きでちょっとあらすじとか登場人物?登場機関車?とかについてお話しするので、これから映画を見にいく方はお気をつけください。ねんのため)

 

自分は重要な仕事を任されている、だから偉い人のお気に入りだ、と自慢する友だちの機関車だったり、

そんな友だちにもやもやして、自分だってもっとできる!と無理やり大仕事を奪いとったあげく、道に迷っちゃうトーマスだったり、

道に迷ったトーマスをバカにする貨車たちだったり、

じぶんは何もできない、ただの役立たずだ、といじけている実験用機関車だったり、

じぶんは最新のステルス機関車だと信じてるけど、全然隠れられていない機関車だったり。

 

学校でも会社でも、ご近所や親戚付き合いでも、いろんなところでこんな人たちがいて、こんなことが日々起きてるんだろうなあ、という物語でした。

 

そんな風に感心しつつ、姪っ子(5歳)に「どうだった?」と聞くと、「アニーとクララベルはまたトーマスと走れるよね!よかった!」と返ってきました。

アニー?クララベル?どのキャラクターのことだろう・・・

まさかいきなりそんな謎のキャラクターの名前が返ってくるとは思わなかったので、ちょっとびっくりしました。

 

家に帰ってから調べてみると、アニーとクララベル、いました。トーマスにひかれて一緒に走っている客車の女の子でした。

そういえば、トーマスが迷子になって帰れなくなっているあいだに、ちょっと乱暴な機関車にひかれることになり、「トーマス早く帰ってきて」と泣いていたのでした。

 

これはトーマスの映画だ、と思っていたわたしは、ついついトーマスの気持ちになって物語を見てしまっていたみたいです。主役はトーマスで、ほかのキャラクターは脇役だと思い込んでいました。

 

よく考えてみたら、誰が主役で誰が脇役かなんて、それぞれのキャラクターにとってみればどうでもよいことです。そとから見る人の思い込みでしかありません。けれど、「みんながそれぞれ主役なんだ!」みたいな考えは、私にはちょっと違うように感じます。みんな主役となってしまえば、ぜんぶ別々の物語ということになってしまうような気がします。それはなんかちょっと寂しい。

 

べつに主役とか脇役とか、そんな分担が必要ない、そういう物語の中で生きていきたい。そんな気がしています。1つの物語の中で、ひとりになったりいろんな人とかかわったりしながら、主役も脇役もなく、それぞれの思うようにいられる世界がいいな、と思いましたし、いまの自分はなんとなくそんな世界にいるように感じています。