いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

世の中は複雑だ

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は引き続きまったりモードです。休みの日は仕事をしないと決めたら本を読む時間がたくさんできて幸せです。最近また編み物も再開しました。姪っ子のためにベストを編んでいます。幸せです。

 

さて、世の中って複雑だなあと思います。たくさんの人や人以外の生き物がいて、生き物じゃないものもたくさんいたりあったりします。いろいろなものが微妙なバランスの上で成り立ったり成り立たなかったりしています。誰かが利益を得ると誰かが何かを失っていたりします。

 

複雑なことを複雑なままに受け止めるのはとても難しいことです。考えだしたらキリがありません。複雑なことを複雑なまま考えながらベストな答えを探そうとしたら、人生100年なんかじゃとても足りないだろうなあという気がします。

 

だから、日々の生活のなかではできるだけシンプルに物事を考えたほうがいいんだろうなあという気がします。特に仕事のときはそうで、ついつい複雑に難しく考えてしまいがちですが、何かを決めようと思ったらシンプルに考えるしかありません。特に弊社のようなベンチャー企業は足を止めたら致命傷みたいなところがあるので、複雑に考えて足をとめるよりは、とにかくシンプルに考えて1歩ずつ進んでいって、間違えたと思ったら戻って、なんてことをやっていくしかないんだろうなあと思います。

 

仕事でも日々の生活でも、シンプルに考えたほうが意外とうまくいくよなあという実感もあります。休みの日に仕事をしない、というのもまさにこれです。いろいろ自分の立場とか人との関係とか考えだしたらキリがないけれど、休みの日には仕事をしない、ととりあえず決めてみたら意外と(自分としては)うまくいっています。もしかしたら迷惑をかけている人がいるかもしれないけれど、そういうことを考えだしたらそれこそキリがないのです。

 

けれど、すべてがシンプルなのだ、と思い込んでしまうことは避けたいなあと思います。世の中はとても複雑なのです。

 

世の中は複雑であるということを知りながら、自分に考えられる範囲でシンプルに考えて生きていく、というくらいが大事なのではないかなあと思います。自分には太刀打ちのできない複雑な世界がそこにはあるのだ、ということを知りながら、けれどそんな世界の中で自分にできることを理解してやっていくという、シンプルで複雑な生き方をしていきたいなあと思います。

余白を残す

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは相変わらず冬眠モードです。今月は26日からお休みをもらう予定なので、あと2週間はゆらゆらと働きます。けれどもう心は完全に冬眠モードです。北国の皆さまには怒られそうですが、ニュースで北国に雪が積もっている映像を見るだけで寒気がしてくる体質なので致し方ありません。早く春にならないかなあ、冬は嫌だなあ、と思いましたが、よく考えたら冬以外でもいつも次の季節を待ちわびているような気もします。飽き性だからでしょうか。四季のある国でよかった(?)

 

さて、そんなわけで先週に引き続きあまりネタが思い浮かばないので、つらつらと気の向くままに書いてみようと思います。

 

最近は、なんとなく余白を大事にしていきたいなあという気持ちがあります。余白ってなんだろう、というのも曖昧なのですが、余裕というか、空白というか、空いているスペースというか。「空き」が大事かなあという感じです。

 

京都に住んでいたころは、余白がたくさんあったような気がします。学生だったからというのもあるかもしれませんが、就職活動で東京の大学生に会ったときにその忙しなさに驚いた記憶があるので、京都特有の何かがあるのかなあという気がしています。時間の流れがゆったりしている感じというか、なんというか。

 

あの頃の自分には、そういう余白を楽しむ力が備わっていたように思います。たぶん、余白を楽しむにはちょっとした力というか、コツというか、そういうものが必要で、いつでも誰でもできるわけではないのだなあと、東京にきて就職してから感じました。

 

なんとなく、自分の周りを見渡したときに、幸せそうな人は余白を楽しんでいるんじゃないかなあと思います。なにかと詰め込みがちな昨今だからこそ、ということでもあるのでしょうか。

 

そんな風に考えて、最近はちょっと学生の頃の気持ちを思い出してみようかなあと、そのころ読んでいた本を読み返してみたりしています。おかげで少し余白を楽しめるようになってきたような気がしたりしなかったりしています。

 

世の中が忙しなく動いている師走に何をやっているんだ、という人もいるかもしれません。けれどそんなときだからこそ、余白を残してやっていきたいなあという感じがします。

 

こんな風に意識をしないと余白を残しておけないというのは、私もずいぶん大人になったのかなあと思います。うれしいようなさみしいような気持ちです。

冬眠

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私はすっかり冬眠モードです。さむい。ねむい。それ以外の感情を失いつつあります。こたつと布団がお友達です。無限にごろごろできます。外に出たくない。

 

さて、今も半分頭は眠りながらブログを書いています。寒くなってくるととにかく眠いのです。ご飯もたくさん食べたくなります。人間の体って不思議だなあと思います。ついこの間まで35℃とか40℃とか言っていたのに、いつの間にか最低気温が10℃を下回るようになって、それでも眠くなりつつも普通に生きていけるのも不思議です。あの暑さってなんだったんだろうなあと思います。

 

寒くなってとにかく眠気がとれなくなると、半分死んでいるみたいな気分になります。まあでもだいたい春になると元気になるので、こればっかりはそういう体質かなあと思って諦めています。

 

寒くて眠くて頭が動かないのでどうしようもないのですが、半分死んでいるみたいな感じなので、春になってあたたかくなると生き返った感じがして楽しいです。ああ生きてたなあと思います。そのときを楽しみに冬の間はとにかくまったりぬくぬくするしかありません。

 

こんな風に波があるからこそ、生きている感じがするんだろうなあと思います。落差があってこそエネルギーが生まれてくるという感じでしょうか。ずっと一定だと先は見通しいやすいのかもしれないけれど、私ならきっと飽きてしまうだろうなあと思います。

 

ねむいので残念ながら話のオチが思いつきません。しかしこれも冬だから仕方がないと思うしかありません。冬になるとだいたいのことは「冬だから仕方がない」と思えます。ある意味で自分にいちばんやさしくなれる季節だともいえるかもしれません。

 

だいたい自分に厳しくしがちなので、そういう意味でも冬は好きです。ちょっと自分にやさしくしてあげようという気分になります。お布団でぬくぬくしとけばいいじゃない、という感じです。こたつでごろごろしとけばいいじゃない、冬なんだから、という気分です。

 

そんなわけで、しばらくは冬眠モードです。せっかく痩せたのであまり太らないようにはしたいなあと思いつつ、まあ冬ですからね、という感じです。春にはやく来てほしいような、そうでもないような感じで、まったりごろごろしながら待ちたいと思います。とりあえず寝ます。あしたは出張なので寝坊しないようにだけ気を付けます。おやすみなさい。

ぐらんぐらん

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私はもう完全に冬モードです。こたつとお布団以外の場所に存在したくありません。今もお布団の中でこのブログを書いています。部屋ではデロンギのヒーターも稼働させはじめました。空気があったかくなると幸せです。早く春にならないかなあ。でも春は花粉症なんだよなあ。

 

さて、先日野球の大谷選手についてテレビで取り上げられているのを見ました。子どものころから大リーガーになることを目標に野球も英語も努力していて、着実に一歩一歩目標に向かって歩みを進めてきた、というようなお話でした。子どもの頃に掲げた目標に向かって、ブレずに一直線に進んできた、ということが話の主題だったようです。

 

今までにも大谷選手の話はメディアで耳にしたことがありますが、なんというかもう「すごいなあ」の一言しかでてきません。体型がキャプテン翼の翼君みたいだ、という話をネットで見かけますが、もはや体型どころかすべてが物語の主人公のようです。

 

目標に向かってブレずに一直線、というのもなかなかマネできるものではありません。自分自身のことを振り返ってみても、もうぐらんぐらんに揺らいでいます。そもそも目標なんて心に決めたことがあっただろうか?という疑問すらわいてきます。そのときどきで、こうなりたいなあ、みたいなぼんやりした姿はあったような気もします。まあこんな状態だからぐらんぐらんなんでしょう。

 

けれどぐらんぐらんに揺れながら進むのが悪いことかというと、必ずしもそうではないような気もします。まっすぐに進むのが最短距離でしょうし、ブレずに取り組めるような目標が心に決まっているのは素晴らしいことだと思いますが、誰しもそう綺麗にはいきません。

 

寄り道の楽しさというのは、やはり子どものころから変わらないものです。私は方向音痴なので、ふらっと寄り道をしては道に迷うということが多くありましたが、それもまた一つの楽しみです。(最近はGoogleマップのおかげでそんなこともあまりなくなりましたが)寄り道をした途中で熱中できる何かが見つかるかもしれないし、自分の意外な一面に気付けたりするかもしれません。

 

もちろん、寄り道をしているあいだに失ってしまうものもあると思います。けれど、本当にそれが自分に必要なものだったとしたら、またきっとどこか別のところに寄り道をしているあいだにふっと手に入ったりするんじゃないかなあと思ったりもします。

 

大谷選手のようにまっすぐに進める人なんてきっとごく少数で、だからこそ物語になるわけです。それならば、無理にまっすぐ進もうとするよりも、ぐらんぐらんの人生を楽しめることができれば十分なのではないかなあと思います。

年末気分です

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私はようやく風邪が治ってきました。そこまで症状は重くないものの、だらだらと2週間くらい苦しんでいたので、やっと少しさっぱりしたなーという感じです。さっぱりしたので久しぶりにジムに行ったら、全身筋肉痛になりました。最近あまり筋肉痛にはならなくなっていたので、これも久しぶりだなーという感じです。ぷるぷるします。ぷるっぷるです。

 

さて、年末です。まだ11月だよ、という方もいるかもしれませんが、最近はハロウィンが終わると街中がクリスマスムードに一気に変わるので、そうなるともう年末だなあという感じがします。今年は例年より寒くなるのが遅いらしいですが、それでもずいぶん寒くなって秋から冬になってきているなあという気がして、さらに年末らしい感じがします。私はとにかく寒がりなので、東京に住んでいるのにすでに毎日ホカロンをはって過ごしていますが・・・。(いまは小さいサイズを背中に1枚だけなので、もっと寒くなったら小さいのをお腹にもう1枚とか、大きいサイズにしたりで防寒度をあげていくのです)

 

去年の今頃は何をしていたかなあ、と思い出してみたのですが、いろいろ苦しんでいたことを思い出して、それに比べると今年はずいぶんいい年だったかもしれないなあなどと思います。しかしこれも毎年のことで、たぶん去年の今頃の自分は、その前の年よりはまあいくらかましかなあみたいなことを考えていたような気もします。

 

学生時代に友人が「毎日昨日より楽しい!」と言っていて、なんてお気楽なやつなんだろう、と思っていたのですが、どうにも人のことを言えないようです。あまり毎日毎日きのうと比べて今日はどうだろう、なんてことを考えないから友人のような発言をしないだけで、半年とか1年とかのスパンでたまにこうして振り返ってみると、だいたいなんとなく時間とともに楽になっているというか、ましな状況にはなっているよなあという感想になってしまいます。つまりどんどん良い方向にいっていると感じているわけで、まあ気楽なことというか、めでたいことだなあと思います。

 

まあ単純に楽しいことよりも苦しいこととかしんどいことのほうが覚えていて、その記憶だけが思い返されるから、それに比べるといまはいいなあと思うだけかもしれません。どうしてもポジティブなことよりネガティブなことが記憶に残りやすいというのは人間の性なのかなあとも思うので、そう考えると毎年よくなっていってるというのはただの錯覚なのかもしれません。

 

けれど、まあ錯覚でも日々良い状況にむかっていると思えるのはとてもよいことだと思いますし、なんとなくそうして振り返って今のほうがいいと思えると、この先はもっとよくなるかもなあ、なんて根拠もなく思えたりします。そういう根拠のない自信がなんとなく人生をよいものにしていくような気もしているので、これからもこの「まあなんとなくよくなっていってるよなあ」という感覚でいけたらよいなあと思います。

頑張っているのは言わなきゃわからない

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は風邪をひいています。のどがガラガラしますし、咳がでるのでどうにも調子が出ません。秋だなあと思います。例年なら今頃は高熱をだしたりもっとひどくなることが多いので、今年はまだましかなあと思いながらごろごろしています。

 

さて、私はこどものころ、勉強のできる子でした。学校の成績はよかったですし、公文式に通っていて、小学校2年生か3年生くらいには小学生の分のプリントがすべて終わってしまったりしていました。いま思い返せばただ要領がいいタイプだったというだけなのですが、あまりガリガリ勉強しているわけでもなかったので、周囲のおともだちや、親戚のあいだでは、「ちょっと特別な子」のように言われていました。

 

最初はそれが嬉しくて、「自分は特別なのかも」なんて思ったりもしました。けれど、特別扱いされることが、しんどいこともありました。自分なりに頑張って結果が出たことであっても、「あの子は特別だから」なんて言われてしまうこともあって、そんなときは「一応がんばってみたんだけどな」なんて思ったりしました。「特別だから」と言われてしまうと、自分のがんばりを無視されているように感じましたし、なんだか仲間外れにされているような感じもしました。

 

大人になってからも、「京大出身だから」「器用だから」なんてことを言われると、同じように自分の頑張りを認めてもらえていないような、線を引かれているような気持ちになりました。けれど、よく考えてみたら、自分だって他の人のがんばりに目を向けられているかというと、そうではないかもなあと思いました。

 

誰かが成果を上げたりしたときに、「すごいなあ、やっぱり〇〇さんは才能があるから」なんてことを言いがちです。その人の能力とか、経歴とか、出自とか、いろいろなことを勝手にその成果の理由だと決めつけてしまうのです。

 

たしかに、もともともっている能力というか、性質とか、経歴とか、そういうものが成果の一つの理由ではあることがほとんどだと思います。けれどそれだけではなくて、そういうものの上にその人のがんばりが加わることで成果があがるのだと思うのです。(もちろん、まれにほんとうにただのラッキーみたいなこともあるかもしれませんが)

 

ではなんで頑張りに目が向かないかといえば、なかなか「わたしがんばってます!」と主張する人が少ないからかなあと思います。なんとなく、頑張っているのを人に見せるのは恥ずかしいというか、あまり見せるものではないというような空気があるように感じます。あるいは、がんばりを認めてほしい一方で、「頑張らなくてもできちゃう才能のある私」みたいに見られたい気持ちがあるのかもしれません。自分のこどものころのことを思い返すと、この2つの気持ちのあいだですごく揺れていたような気がします。

 

けれど、頑張りを認めてもらうのってやっぱりうれしいことです。大人になったいまは、「才能のある自分」みたいなかっこつけの気持ちがだいぶ薄らいできたというのもあるかもしれません。なので、もっと自分が頑張っていることはかっこつけないでまわりに伝えていきたいなあと思います。

飽きっぽい

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私はとても眠いです。ひさしぶりに書きましたが、とても眠いです。秋だからでしょうか。我が家のリビングには、こたつが登場しました。こたつでお昼寝、幸せです。

 

さて、何のために仕事をするのか、というのはよく議論になる問題です。私は新卒で中央官庁に入ったとき、正直に言うとあまり高い目標や理想というのはなくて、どちらかというとゲーム感覚で仕事をしているところがありました。上司がこのあと「あの書類ちょうだい」と言うだろうと予測して用意しておいた書類が合っているかとか、気むずかしいと評判のあの人にいかにうまく根回しをするかとか、そんなささいなことです。

 

こんな風にゲーム感覚で仕事をするのはすごく楽しいし、ストレスもなくて楽でした。なにせゲーム感覚です。ただ問題なのは、すぐに飽きてしまうということでした。ちょっと難易度の高いゲームを探そうと思っても、それもすぐにクリアできてしまったりすると、途端につまらなくなります。手前みそですが、わたしは小器用なほうなので、ゲーム感覚でやっているとなんとなく攻略法が見えてきてしまって、そうなるとすぐに飽きてしまうのです。

 

飽きてきてしまったので、上司や先輩の話をちょっと聞いてみるようになりました。なんだかんだいって、中央官庁には真面目な人たちがたくさんいます。みんな仕事に対して普段は愚痴っていても、いろいろな考えや思いがあって、そういうものに少しずつ感化されていきました。そして、「この仕事は本当に世の中のためになっているのだろうか?」なんてことを考えるようになりました。

 

そんな風に真面目に考えながら仕事をすると、どうしても矛盾がたくさん見えてきます。正直に言って、世の中のためになるから行われている施策っていったいいくつあるのだろうと思います。もちろん、一部の人たちにとってはよいことがあるから進められるわけですが、じゃあそれを国全体として考えるとどうなるのか?なんてことを考えだしたらキリがありません。

 

真面目に考えながら仕事をすると、すごくストレスがたまります。なにせ、世の中は矛盾だらけです。そんななかで、最初のようにゲーム感覚で仕事をこなすこともなんとなく苦痛になってしまって、ただ目の前にある大量のタスクを処理するような感覚になりました。

 

そこからいろいろあって、中央官庁は辞めてしまって、「やっぱり死ぬまでの暇つぶしくらいのつもりで、ゲーム感覚でできることで、生活できるだけのお金が稼げればいいじゃないか」という気持ちになりました。クラウドソーシングサイトなどで募集しているライティングの仕事を、タイムトライアルのような感じでこなしていました。「今日は1時間で1500円いけたぞ!」みたいな感じでした。

 

けれど、これもすぐにコツがわかってきてしまって、つまらなくなりました。自宅でパジャマのままでも、普通にアルバイトをするよりは多い金額を稼げるようになりました。たぶんもう少し続けていればもっと効率よく稼げる方法を見つけていたと思いますが、そんなモチベーションはまったくわいてきませんでした。

 

そんなわけで、何か面白い仕事ないかなーと思っていた時に紹介されたのがベンチャーネットです。デジタルマーケティングの領域を扱っているのですが、いままで知らなかったことばかりで、とても面白いと思いました。社長からはどんどん机に本を積まれて、どんどんそれを読んで、いろいろ理解したりできることが増えました。このときも単純にゲーム感覚で、新しいおもちゃを手に入れたような感じでした。

 

ただ、それも1年くらいで飽きつつありました。技術的なことなどはなんとなく想像がつくようになってきて、本を読んでもセミナーにいっても「まあそりゃそうだよなあ」という感想しか出なくなりました。そんなときに、ドラッカー稲盛和夫さんの本を渡されて、興味をもちました。なんとなく、中央官庁のときと同じパターンに陥るんじゃないか?という予感はありました。ビジネスとは、会社とは、みたいなことを考え始めて、すごく面白いのですが、それを現実に引き寄せようとするとやっぱりたくさんの矛盾がそこにはあって、考えるほどストレスもかかります。実際、今年の前半は特に会社の方向性を変えるような場面もあって、いろいろなことを考えて、すごくストレスフルでした。

 

大学を卒業して仕事をはじめてからもうすぐ6年になります。けっきょく飽きっぽい自分は、このサイクルを繰り返していくしかないのだろうな、と思っています。ゲーム感覚で楽しんで、飽きて、ちょっと真面目にやってみて、しんどくなって一休みに別のゲームを探して。そんな形で緩やかにやっていくのが、人間らしくてよいのかなあと思います。