いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

捨てるかどうか迷うものはいらない

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは初めて10キロ走ることができました。ものすごくゆっくりペースですが、最初は1キロも走れなかったことを考えると、ものすごい成長だと思います。運動なんて大嫌いだったのですが、人間って不思議だなあと思います。

 

さて、相変わらずメンタリストDaiGoさんの動画や本にはまっています。最近は、「人間関係をリセットして自由になる心理学」という本が面白かったです。人間関係をリセットする、なんていうとものすごくネガティブな印象があります。けれど、幸せな毎日をすごすためには、一緒にいる人がどんな人か、というのはものすごく重要な要素です。そして、人が付き合える人間関係には限界があります。ならば、自分にとって本当に大切な人たちと過ごす時間を確保するためには、そうでない人たちとの関係はある程度整理しないといけないよね、というお話で、なるほどなあと思いました。

 

この本の中ですごく印象に残っているのが、「捨てるかどうか迷うものは、いらないものだ」という言葉です。これはきっと、人間関係に限らず、いろんなことに対して言えることだと思います。モノであれば、私は比較的この原則に則って行動しているほうだと思います。しかし、人間関係に関していうと、やはり戸惑う部分というか、なかなかそう簡単には割り切れない部分があります。

 

けれど、限られた時間のなかでは、そうも言っていられないのだとも思います。迷うときは、一回捨ててみるしかないのかもしれません。もしそれが本当に必要なものなのだとしたら、きっといつかまた巡り巡って戻ってくるような気もします。

 

思い返せば、在学中にはたいして仲良くなかったのに、卒業後にふとしたきっかけでとても親しく付き合うようになった友人もいます。たいして仲良くなかったというより、むしろ苦手意識をもっていたような相手です。それでも、自分も相手も時間が経って変化すれば、再会したときには、不思議と気の合う友人になれる可能性があるのです。

 

自分自身のことを思い返してみても、小さいころから変わらない部分もあれば、不思議なくらい変わってしまった部分もあります。そうやって、どんな人も時間とともに少しずつ変化しているのだと思います。

 

だとすれば、「今は一緒にいてもあまり楽しくないけれど、でも将来は・・・」と悩むのならば、一回その人間関係は捨ててしまっても大丈夫な気がします。自分も相手も変化して、うまくかみ合うタイミングさえあれば、きっとそのときにはよい関係が築けるはずです。むしろ、そこで悩んでだらだらと付き合うことは、お互いにとってよくないことなのかもしれません。捨てるかどうか迷うものはいらない。厳しい側面もある言葉ですが、大事なことだなあと思いました。

お金を使う

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしはとても眠いです。少し風邪気味だからでしょうか。最近は自分でもちょっとびっくりするくらいよく活動していたので、その反動かもしれません。ひさしぶりにお布団でぬくぬくする時間を楽しんでいます。ぬっくぬくです。

 

さて、最近わたしはよくお金を使っています。洋服と本が多いです。洋服はダイエットでサイズが変わったので買い替えもありますし、ジムに行くようになったので、運動用のものも買い足しました。新しい服、テンションがあがります。

本は最近うまく時間を使えるようになって、積ん読が解消されてきたので、新しい本を探して読んでいます。最近はまっているメンタリストDaiGoさんの本もよく読んでいますし、哲学関係の本も読んでいます。今はセールスコピーに関する本を読んでいます。なかなか面白いです。哲学関係の本はなかなか価格が高いものも多いですが、読むのに時間がかかるので、バランスはとれているかなあと思います。

 

お金を使うというのはなかなか難しいことです。以前はストレス発散で買い物をしても、結局買ったものを使うことはなくて、ただムダにお金を使ったという罪悪感だけが残ることがありました。

反対に、できるだけお金を使わないで生活しようとしていたときもありました。いま思い返すと、常にお金のことばかり考えていて、ずいぶん窮屈だったなあと思います。

 

最近になってようやく、自分がどんなものが好きなのかとか、どういう風になりたいのか、そのために何が必要なのかとか、そういうことをちゃんと考えてお金を使えるようになってきたように思います。

なのでお金を使ったあとに後悔することも少なくなりましたし、むしろお金を使うことで生活がより快適になったり、いい経験ができたりするようになってきました。

それに、たくさん買い物をしたなあ、と思っても、計算するとそんなに金額としては使いすぎた、ということもなくなりました。きちんと考えて買い物をすることで、身の丈にあったお金の使い方に自然となっているのかなあと思います。

 

世の中はだいたいお金で回っています。もちろんお金ではない部分もあります。けれど、お金の世界を避けて、お金ではない世界だけを生きようとしても、なかなかうまくいかないのではないかなあと思います。

お金と向き合って、その大切さを理解して、うまく付き合えるようになってくることで、お金以外の部分の、人との関係とか、自分自身との向き合い方とか、いろんなことがうまくいくんではないかなあと感じています。

気が付くと早歩き

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は最近朝起きられるようになりました。だいたい7時半くらいには起きて、朝ご飯を食べたりなんだりして9時ごろから自宅で仕事をはじめる感じです。始業時間が8時半とか9時とかの会社ではとても働けないなあという感じですが、いぜんは午前中はほとんどぼーっとしていたことを考えると、人間って変わるものだなあと思います。いまのところなかなか調子がいいので、しばらくこんな感じでいけるといいなあと思っています。

 

さて、以前に「私は運がいい」という話をこのブログで書いたのですが、最近はまっているメンタリストDaigoさんの動画で、運に関する面白い話がありました。海外のどこかの大学の研究で、大学の構内の木にお札をぶらさげて、「金の生る木」を実際に作ってみたところ、そのことに気が付いたのは通行人のうちたった1割にも満たなかったそうです。金の生る木に気付けるかどうかが、いわゆる運のいい悪いの違いなんじゃないか?ということですね。

 

お金だけではなくて、人からの手助けとか、優しさとか、そういうものに気付けると「自分は運がいいなあ」と思えるし、そうでないと、「なんか運が悪いんだよなあ」となるというのは、なるほどなあと思います。

 

わたし自身、いま自分が運がいいと思えるのは、周りに目を向ける余裕が少し出てきたからだと思います。振り返れば、社会人1,2年目のころは、余裕なんてなくてただ全速力で走っていたように感じます。いま思えば、声を上げれば周りの人はきっと助けてくれただろうに、「自分でなんとかしなければ」と意固地になっていました。そうこうしているうちに体を壊して倒れてしまったわけで、とてももったいないし、申し訳ないことをしたと思います。

 

けれど、過ぎ去ってしまったことはどうしようもないですし、いまそういうことに気が付いて振り返られるようになっただけでも十分なんじゃないかな、とも思います。今の自分にできるのは、その反省を生かして、きちんと周りに目を向けることを忘れずにいることだと思います。

 

どうにも、わたしはついつい早歩きになりがちで、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、なんてしているうちについには走り出してしまうことが多いです。これも自分のもった性格なので仕方ないですし、もっているものは大事にしてあげないとと思います。けれど、周りを見ながらゆっくり歩くことも大事だ、と気付いたからには、そのことを忘れずに、ゆっくり歩く時間を作っていきたいなあと思っています。

時間とゴール

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは2か月のダイエットジム通いで、7.5キロ痩せました。からだが軽いです。ビフォーアフターの写真をもらったのですが、アフターを見てうれしい気持ちと同時に、ビフォーを見て「わたしこんなんだったのか・・・」という恐ろしさが押し寄せます。人間は太ると幅が拡がるのではなくて、厚みがでるのだということを知りました。厚みがね、ほんとすごかったんです・・・はい・・・。

 

さて、そんなわけであっという間に2か月が過ぎました。さらにいうと、もう9月も終盤です。今年も残り3か月と少しになってしまいました。お正月、ついこの間だったような気がしていたのですが、次のお正月のほうが近づいています。

 

時間が進むのが早いということは、毎日いろいろなことをやっているということで、悪いことではないと思います。けれどその時間の経過とともに自分もちゃんと進んでいるのか?と考えると、はてどうだろう、となってしまいます。

 

そもそも、進む、ってなんだろうという疑問も浮かびます。進む、とか、戻る、とかいうのは、スタートとゴールがわかっていて、そこに近づいたり遠ざかったりすることというイメージがあります。そうなると、「時間が進む」というのもちょっと不思議な言葉のような気がします。時間は一直線にスタートからゴールに向かっているのでしょうか。たしかに時間は過去から未来へと続いていくわけで、さらに一度過ぎてしまえば過去には戻れません。けれど、過去にスタートがあって、未来のどこかにゴールがあるのか、というと、本当にそうなんだろうか、と思います。

 

なんとなく、歴史とか過去のことを勉強するときに、人間はこんなに進歩した、というような視点で語られることが多いと思います。けれど、過去の人たちがいまの人たちより劣っていたのかというと、そういうわけではないような気もします。たしかに、新しい道具とか技術とかがどんどん現れてくるわけで、それを「進歩」というのかもしれませんが、なんとなくそこには「過去よりも今のほうがより優れている」という価値観が見えてくるように感じます。けれど過去と今とか、今と未来とか、それって単純に比べられるようなものだろうか、と思うのです。

 

そう考えると、「時間が進む」というよりは、「時間が流れてどんどん変化していく」というだけのような気がします。どこかにゴールがあって、そこに向かって近づいている、というよりかは、ただ流れの中で姿や状態が変わっていっているだけなのではないでしょうか。

 

なんだか知らない間に、どこかにゴールがあるような気がして、あるべきゴールに近づいていかなくちゃいけない、と思い込んでいただけなのかもしれません。よく考えたら、ゴールなんてあるとは限らないですし、ゴールがあったからといって必ずしも目指さなければいけないわけではないようにも思います。

時間はただ流れていて、その中で人やモノやいろんなことが移り変わっていて、それに合わせたり、あえて逆らってみたりしながら、変化を楽しめればそれで十分なんじゃないかな、と思います。

地元がない

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は免許の更新をしました。無事故無違反の優良ドライバーなので、ついにゴールド免許です。ちなみに教習車以外の車は運転したことがありません。世の中の皆さんのために、と考えると私が運転するほど危険なことはないので、致し方ないことです。

 

さて、わたしはいままでに6回引っ越しをしています。1ヶ所に住んでいた期間は、1番長くても6年ほどです。なので、あまり地元という感覚がありません。生まれたのは東京の西の方ですし、いまは両親も東京にいるので、「どこ出身?」と聞かれたら東京と答えますが、いまいちしっくりきません。東京が嫌いなわけではないですが、特別な感情とか、安心感とか、そういうものがあるかといえば特にないというのが正直なところです。

 

大学生のころ、友人たちは全国いろいろなところから来ていたので、よく地元の話になりました。そういうときに、みんな自分の地元を自慢したりするのが不思議だなあと思いました。長期休みなどには、みんなが当然のように「地元に帰る」といいますが、わたしは両親の住む東京に行くことを「地元に帰る」と表現するのにはなんとなく抵抗があって、「実家にいく」とか「東京にいく」とか言っていました。

 

地元ってなんだろう、と今でもふと不思議に思います。何年以上住んでいたら地元、とか、生まれたところが地元、とか、そういう決まった定義があるわけではありません。やっぱり感覚的な問題で、自分が地元だと思ったらそこが地元だ、みたいなものなのでしょうか。

そう考えたときに、自分にとって地元って思える場所はどこなのかなあ、と考えてみたのですが、愛着がある、という意味では京都なのかなあと思います。単純に学生時代の思い出フィルターがかかっているだけのような気もしますが、逆にそういう思い出フィルターで成り立つのが地元っていう概念なのかも、と思ったりもします。

じゃあ将来的に京都に住みたいかと言われると、またそれも違ってくるので難しいところです。なんだかんだいって東京は便利ですし、住む家さえ確保できてしまえばとてもいい街だと思います。京都、夏はめちゃめちゃ暑くて冬はめちゃめちゃ寒いですし・・・。

そうなってくると、京都が地元と答えるのもなんだかおこがましい気がしてきます。結局一周まわって、やっぱり私には地元がない、というのが答えなのかもしれません。もしかしたらこのままずっと東京に住んでいたら、自信をもって「東京が地元です」と答えられるようになるかも、という薄らとした期待もありながら、飽き性な私がずっと同じところに住むなんてあるのかなあ、と自分を疑いながら、地元がある人って素敵だなあと思うのでした。

新サイト、準備中です

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は成人後いちばん体重が減りつつあります。なんだかちょっとからだが軽いです。減った分の体重をペットボトルの本数で換算すると、そんなに背負って歩いてたらそりゃしんどいわ、という感じです。階段を上るのがしんどくないというだけで感動です。

 

さて、最近新しいサイトの準備をしています。就職活動に関するサイトです。そんなわけで、就職活動をしていた大学生の頃のことを思い返しています。

 

大学生のころは、とにかく世の中がどういう仕組みになっているのか知りたくて、ひたすら本を読んでいました。

いまの世の中の中心は金融だ、なんてことを考えて金融工学を勉強していたのですが、金融工学をやっているとどこにでも出てくるのが金利です。ふと、当たり前のように存在している金利ってなんだろう?と思い立ち、調べているうちに、歴史やら宗教やらを通って、気づくとマルクス経済学にたどり着いていました。

 

そこからは、資本主義ってなんだろう、ということを考える日々でした。いまでもこの疑問の答えはよくわからなくて、勉強しているところです。大学生のころは、たぶんその疑問の答えの欠片もわかっていませんでした。けれどなんとなく違和感はあって、資本主義をぶっ壊すにはどうしたらいいんだろう、なんてことをわりと真面目に考えたときもありました。さすがにぶっ壊すのは難しいと思い至って、その次に、資本主義の外側に出るにはどうしたらいいんだろう、と思うようになりました。ちょうど周囲が就職活動だなんだと騒がしくなってきたころです。

 

宗教の世界なら資本主義とは切り離されているんじゃないか、なんて考えて、出家の方法を調べたこともありました。Google検索に「出家」と入れたら、サジェストで「出家 方法」というキーワードが出てきました。私と同じことを考えている人がいるのかなあ、なんて思ったりしました。

けれど、そのころちょうどAmazonのお坊さん便や、お布施の金額を料金表のように表示する寺社が出てきたことが話題になっていました。宗教の世界にも資本主義の力は及んでいるんだなあ、と思って出家は諦めました。

 

その次に思い付いたのが公務員でした。公務員なら、利益のために働いているわけではないし、資本主義の外側といえるんじゃないか、と考えました。

これは、いま思えばとても単純で考えなしだったなあと思います。結果として公務員になってしまったわけですが、資本主義の外側というよりは、資本主義の上に乗っかっているようなものだったと思います。

 

いろいろあって、ベンチャーネットで働くようになりました。営利企業です。当然、どうやったら会社が儲かるか、利益が出るか、ということをいつも考えています。けれど、今までで1番資本主義から遠いところにいるような気がしています。不思議です。

 

なんでかなあ、といろいろ考えているのですが、人とのかかわりみたいなところに答えがあるような気がしています。大学生の頃は、なんとなく孤独でした。友人がいなかったわけではないのですが、もともと人見知りしがちなのもあって、友人たちとの付き合いもどこか表面的な部分があったのかもしれません。あくまで社会の中の1つの駒として他人とかかわっているだけで、ひとりの個人として誰かとかかわることはなかったように思います。それは就職して公務員になってからも一緒です。同期や先輩方との交流はありましたが、それもやっぱり組織の一員として、みたいなところがどうしてもありました。

 

公務員をやめて、何の肩書きも所属もなくなってはじめて、ひとりの個人として他人とかかわるということができるようになった気がしています。ベンチャーネットに入ってからは、もちろん「ベンチャーネットのタケダ」ではあるのですが、ちゃんと個人としてのタケダの部分も持ち続けられているように感じています。それは、個人の考えとか生き方を尊重してくれるベンチャーネットだからこそだなあ、と思っていて、すごくありがたいことです。

 

もちろん、資本主義の恩恵に預かって生活していますし、もはや今の世の中でそこから完璧に抜け出すことは不可能です。大学生のころは、そのことに反発する気持ちがありました。けれど、それを受け入れたことで、いますごくバランスを保って日々を過ごしていられるんだと思います。

 

私はたまたま、資本主義ってなんだろう、というところから社会に対するもやもやを感じていたのですが、きっとこれから就職活動をしようとしている人たちの中にも、いろいろなところから似たようなもやもやをもっているんじゃないかなあ、と勝手に想像しています。新しいサイトは、ぜひそんなもやもやをちょっとでも晴らせるようなサイトにしていきたいなあと思いつつ、準備をがんばっていこうと思います。

 

 

物語が好きです

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは、夏休みがおわって仕事をがんばっています。ダイエットも引き続きがんばっています。夏生まれなので、夏はわりと元気です。寒くなる前にもうひと頑張りしていきたいなあ、というところです。

 

さて、夏休みは本をたくさん読みました。ふだんはどうしてもビジネス系の本が多くなってしまうので、久しぶりにのんびり小説を読みました。いつもは小説といえば大好きな森博嗣さんの作品くらいなので、せっかくなので他の作家さんの作品も読んでみよう週間です。

 

この夏に読んだ中では、柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」がとても面白かったです。

タイトルの通り女性がたくさん登場するお話です。いろいろな悩みとか、コンプレックスとか、もやもやしたものをみんなもっていて、それを持て余して他人にひどいことをしてしまったり、気づかないうちにストーカーみたいになってしまったり。

みんな紙一重のところで生きていて、ちょっとしたきっかけでそのバランスが崩れてしまったりして、わかるなあ、そうだよなあ、という気持ちになりました。

 

子どものころは本といえば小説だったのに、大人になるとどうも気が付くと小難しい本ばかりになりがちです。けれど、やっぱり小説っていいなあ、と思います。

自分ではいろいろなことを経験しているつもりでも、どうしたって人ひとりが見たり聞いたりなにかできることなんて限られています。なにか新しいものに出会ったとき、自分が経験してきたことだけで対処しようとしても、難しい。そんなときは、想像力をがんばってはたらかせて、なんとかするしかありません。

小説を読んで、いろいろな人の人生とか、体験とかを追っていくことで、そういう想像力がうまく使えるようになるんじゃないかなあ、という気がしています。

これからはもうちょっと小説を読む時間も増やしていきたいなあ、と思った夏休みでした。