いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

聴くこと

こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私はぼちぼち仕事をしています。バリバリでなくぼちぼちなのは寒いからです。やっぱり寒いのはよくないですね。しかし寒いのにもちょっと飽きてきました。早く暖かくならないかなあ、と思いながら、春物の洋服を探したりしています。春っていいですよねえ。

さて、人と話をするのって難しいことです。変なこと言ったらどうしようとか、話につまったらどうしようとか、言いたいことが伝わらなかったらどうしようとか、いろいろ考えてしまいます。

なんてところまで書いて先週下書きのまま放置していた記事にようやく気がつきました。書いたつもりで先週は更新するのを忘れてしまったのでした。

そんなわけで、おそらくは「話すことって難しいけど聴くことのほうがもっと難しいんじゃないか」みたいなお話を書こうとした形跡はあるわけですが、続きに何を書こうとしていたのかすっかり忘れてしまいました。そのうち同じようなことがまた頭に思い浮かぶと思うので、まあこのお話はいつかきっと書くことになるんではないかな、と思います。

そうなると今回は何を書こうかということになるわけですが、そもそもいまはてなブログを開いたのは、コンサートに行って感動したのでその余韻があるうちに何か書いておこうと思ったからです。

年末になんとなく第9を聴きに行ったらとても幸せな気持ちになったので、今年は月に一度くらいはコンサートに行きたいなあと思って早速読売交響楽団定期演奏会にいってきました。正直今回はあまりよく知らない演目だったのですが、それでもやっぱりなんだか幸せな気持ちといいますか、ふわふわとした感覚になります。

オーケストラといえばバイオリンなどの弦楽器のイメージが強かったのですが、生で聴くと木管金管の音がすごくクリアで、いろいろな音を追いかけているうちに、なんだか不思議と心地よくなってくるので、音楽ってすごいなあと今更ながら感じます。

なんとなく、これは複雑なものを複雑なままに受け入れる練習になっているのかめしれないなあと思います。
世の中はすごく複雑で、でもうまく生きていくにはいろいろ考える必要があって、そうなると複雑なままでは考えられないのでどうしても単純化してしまいます。
仕事なんかを考えると、単純化して考えた方がうまくいくことが多いような気がしますが、けれど世の中が複雑であることには変わりがありません。

そういう複雑なものを複雑なままに受け入れる機会が日常においてなかなかないなかで、複雑なものを複雑なままに受け入れるちょっと非日常の体験をするということは、なんとなく刺激というか、生活に面白さをもたらしてくれるのではないかなあと思います。

ダイバーシティ

こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私はおかげさまで穏やかなお正月を過ごし、ようやく仕事はじめです。新年はまったり行こうと思っていたら意外と仕事があることに気がつきました。しかし焦っても仕方がないのでまったり行こうと思います。気持ちは一休さんです。ひとやすみひとやすみ。

さて、年末年始は普段あまり見ないテレビを見たり、普段よりちょっと遠回りで散歩したり、行ったことのないお店に行ってみたり、いろいろと普段しないことをやってみました。世の中にはいろんな人がいるなあ、と思います。わかるなあと思う人もいれば、わからんなあと思う人もいます。ものの考え方であったり、感じ方であったり、いわゆる価値観というものはいろいろですから当然です。ダイバーシティというやつですね。

世の中にいろいろな人がいてダイバーシティがあるように、1人の人の中にもいろいろな考え方というか、いろいろなものがあるように思います。朝と夜で違ったりとか、お腹がすいているときと満腹のときで違ったりとか、一緒にいる人によって違ったりとか、そのときどきでものの考え方や感じ方、表現の仕方はきっと変わりますし、年をとって変わることもあります。

なんとなくいつも変わらない人の方が筋が通っているとか首尾一貫しているとかよい印象があるようにも思いますが、私は1人の人のなかにいろいろな考え方があることは別に普通のことで、まあそりゃそのときどきだよね、という気がします。ついつい人の言っていることが以前と矛盾しているとイラッとしてしまうこともあるのですが、そんなときは我が身を振り返って、まあ私だって朝は機嫌悪いし頭働かないしで夜と言ってること絶対に違うよな、と思ってイライラしないようにします。

そのときどきで違う自分がいるのは仕方ないので、自分は自分、と思い込むのではなくて、今の自分はこんな感じだなあ、とそのときどきでどんな自分なのかを感じることが必要なのかなあとも思います。そして同時に、この人はいまこんな感じかなあ、と想像してみることで、イライラしたり不機嫌になったりせずにいられるのではないかなあと思います。

あとは、いろいろな自分を楽しめるときっと日々が楽しくなるんだろうなあという気がしています。私自身、たまにこんな自分がいたんだなあ、と思うときがあります。あまりいい自分じゃないときもありますが、ちょっと新鮮だったりもして、最近はまあいいかなあと思えるようになってきました。この調子で、もっといろんな自分を楽しんでいきたいなあと思います。

ゆく年くる年

こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私は姪っ子たちと平和な年末を過ごしています。気付けば大晦日ですね。まあ大晦日だからといって紅白とゆく年くる年を見るくらいなのですが、なんとなく平和な感じです。平和っていいなあと思います。

さて、なんだかもう11月くらいから年末モードだったので、いまさら特に振り返ることもなく、なんとなく来年もいい年になるといいなあという感じです。暦上の年が変わるからってなんともないな、みたいな謎のシニカルな気分が数年前にはあったりしたのですが、あれって何だったのだろうなあと今になると思います。

まあ別に現代においてはなんとなくお祝い気分で消費が盛り上がるとかくらいのものなのかもしれませんが、たまにはそういう世の中の気分に乗ってみるというのも悪いことではないなあなんていうのが最近の気分です。景気は気からとも申しますしね。ありがたいことに生活にはある程度余裕があるので、世の中の景気には無理のない範囲で貢献していきたいなあなんて気持ちもあったりして、大人になったなあといいますか、人の考えや価値観なんてあっという間に変わるものだなあと思います。

なので来年の今ごろに自分が何をして何を考えてるかも全く定かではないなあと思います。それがちょっと怖くもあり、楽しみでもあり、まあどちらかというと飽き性なので楽しみの方が大きいのですが、なんとなく自分の価値観や考え方が変わっても、職業が変わっても、社会的な立ち位置が変わっても、幸せでいる予感というのは常にあるのが救いだなあという感じです。
思えば基本的に留まり続けるというのは苦手な性分で、こればかりはこどものころから変わらないので、それが唯一の変わらないことであって、そうなると変わり続けることに自分の幸せがあるというのは仕方のないことかなあと思います。

テレビではなぜか女装した星野源が楽しそうに歌っていて、これまた世の中は平和だなあと思います。世の中がみんなこんな風に平和で暖かい空気の中にいられるとよいなあと思いますが、現実はなかなか難しいところもあり、けれどまずは自分が平和で幸せであるところからしか始まらないわけで、遠慮なく平和と幸せを享受することに慣れていきたいなあと思います。そのつぎのステップはまた慣れたときに考えようと思います。

そんなわけで皆さまよいお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

楽しいおばちゃん生活

こんにちは、タケダです。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
私は一足早く冬休みに入りました。昨日は都響の第9を聴き、今日は多摩川を1時間ほど散歩してスタバでまったり本を読むという贅沢な生活をしています。29日から大晦日までは姪っ子たちと遊ぶ予定です。こんなに幸せでよいのかなあと思ったりしますが、まあよいのだろうということにしています。幸せで何が悪い、くらいに思えるともっと気が楽なのだろうなあとも思います。

さて、そんなわけで先週はブログを書くのを忘れていました。いつも日曜日に書いているのですが、先週は姪っ子とスケートに繰り出した結果、無限にリンクを回り続ける5歳児を追いかけて疲労困憊してしまったのでした。

スケートをするのはおそらく20年ぶりくらいだったとおもいます。小学生の頃に、家の近くにあった市民プールが冬になるとスケートリンクとして開放されていて、両親に連れていってもらいました。母は怖がりなので外から見ていて、父が手を引いて滑りかたを教えてくれました。

スケートに行ったのはせいぜい片手で数えられるくらいの回数だったと思います。そのときはそれなりに滑れるようになったんだと思いますが、まさか20年経った今でも滑れるとは思いませんでした。

最初の5分くらいは壁に掴まって進むのがやっとでしたが、姪っ子に滑りかたを教えなくては、というプレッシャーのせいか、しばらくしたら昔の感覚を思い出して滑れるようになりました。まあその間に姪っ子も自分なりにコツをつかんだようで、私の助けはあまり必要なかったのですが・・・

周りを見渡すと、必死にバランスをとりながら子供の手を引く大人たちがそこら中にいました。思えば私にスケートを教えてくれた父は、どこで滑りかたを知ったのだろうな、と思いました。祖父は忙しい人だったと聞いていますし、時代的にも、子供をスケートに連れていくようなことがあっただろうか、と思います。

私は親ではなくただのおばちゃんですが、毎週面倒を見ていることもあり、姪っ子たちにいろんなことをさせてあげたいなあとか、いろんなものを見せてあげたいなあとか思います。何せ子供の反応というのはとても素直なもので、楽しければ目がキラキラしますし、つまらなければ関係ないところでぴょんぴょん跳び跳ねたり、なぜか道ばたの石ころの方に興味を持ったりするのです。

子供ができると親の成長にもつながる、なんて言いますが、こうやって子供に何か経験させようとすると、大人も改めていろいろなことを学び直したり、気合でスケートを滑れるようにならないといけなかったりするわけで、そりゃあ成長するというか成長せざるを得ないよなあと思いました。私はおばちゃんという気楽な立場ですし、週に一度のことですから、なんともいいとこどりだけしてありがたいことだなあと思います。

そんなわけで世の中の親御さんに敬意を払いつつ、この年末もありがたくおばちゃんライフを楽しんでいきたいなあと思います。

世の中は複雑だ

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私は引き続きまったりモードです。休みの日は仕事をしないと決めたら本を読む時間がたくさんできて幸せです。最近また編み物も再開しました。姪っ子のためにベストを編んでいます。幸せです。

 

さて、世の中って複雑だなあと思います。たくさんの人や人以外の生き物がいて、生き物じゃないものもたくさんいたりあったりします。いろいろなものが微妙なバランスの上で成り立ったり成り立たなかったりしています。誰かが利益を得ると誰かが何かを失っていたりします。

 

複雑なことを複雑なままに受け止めるのはとても難しいことです。考えだしたらキリがありません。複雑なことを複雑なまま考えながらベストな答えを探そうとしたら、人生100年なんかじゃとても足りないだろうなあという気がします。

 

だから、日々の生活のなかではできるだけシンプルに物事を考えたほうがいいんだろうなあという気がします。特に仕事のときはそうで、ついつい複雑に難しく考えてしまいがちですが、何かを決めようと思ったらシンプルに考えるしかありません。特に弊社のようなベンチャー企業は足を止めたら致命傷みたいなところがあるので、複雑に考えて足をとめるよりは、とにかくシンプルに考えて1歩ずつ進んでいって、間違えたと思ったら戻って、なんてことをやっていくしかないんだろうなあと思います。

 

仕事でも日々の生活でも、シンプルに考えたほうが意外とうまくいくよなあという実感もあります。休みの日に仕事をしない、というのもまさにこれです。いろいろ自分の立場とか人との関係とか考えだしたらキリがないけれど、休みの日には仕事をしない、ととりあえず決めてみたら意外と(自分としては)うまくいっています。もしかしたら迷惑をかけている人がいるかもしれないけれど、そういうことを考えだしたらそれこそキリがないのです。

 

けれど、すべてがシンプルなのだ、と思い込んでしまうことは避けたいなあと思います。世の中はとても複雑なのです。

 

世の中は複雑であるということを知りながら、自分に考えられる範囲でシンプルに考えて生きていく、というくらいが大事なのではないかなあと思います。自分には太刀打ちのできない複雑な世界がそこにはあるのだ、ということを知りながら、けれどそんな世界の中で自分にできることを理解してやっていくという、シンプルで複雑な生き方をしていきたいなあと思います。

余白を残す

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは相変わらず冬眠モードです。今月は26日からお休みをもらう予定なので、あと2週間はゆらゆらと働きます。けれどもう心は完全に冬眠モードです。北国の皆さまには怒られそうですが、ニュースで北国に雪が積もっている映像を見るだけで寒気がしてくる体質なので致し方ありません。早く春にならないかなあ、冬は嫌だなあ、と思いましたが、よく考えたら冬以外でもいつも次の季節を待ちわびているような気もします。飽き性だからでしょうか。四季のある国でよかった(?)

 

さて、そんなわけで先週に引き続きあまりネタが思い浮かばないので、つらつらと気の向くままに書いてみようと思います。

 

最近は、なんとなく余白を大事にしていきたいなあという気持ちがあります。余白ってなんだろう、というのも曖昧なのですが、余裕というか、空白というか、空いているスペースというか。「空き」が大事かなあという感じです。

 

京都に住んでいたころは、余白がたくさんあったような気がします。学生だったからというのもあるかもしれませんが、就職活動で東京の大学生に会ったときにその忙しなさに驚いた記憶があるので、京都特有の何かがあるのかなあという気がしています。時間の流れがゆったりしている感じというか、なんというか。

 

あの頃の自分には、そういう余白を楽しむ力が備わっていたように思います。たぶん、余白を楽しむにはちょっとした力というか、コツというか、そういうものが必要で、いつでも誰でもできるわけではないのだなあと、東京にきて就職してから感じました。

 

なんとなく、自分の周りを見渡したときに、幸せそうな人は余白を楽しんでいるんじゃないかなあと思います。なにかと詰め込みがちな昨今だからこそ、ということでもあるのでしょうか。

 

そんな風に考えて、最近はちょっと学生の頃の気持ちを思い出してみようかなあと、そのころ読んでいた本を読み返してみたりしています。おかげで少し余白を楽しめるようになってきたような気がしたりしなかったりしています。

 

世の中が忙しなく動いている師走に何をやっているんだ、という人もいるかもしれません。けれどそんなときだからこそ、余白を残してやっていきたいなあという感じがします。

 

こんな風に意識をしないと余白を残しておけないというのは、私もずいぶん大人になったのかなあと思います。うれしいようなさみしいような気持ちです。

冬眠

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

私はすっかり冬眠モードです。さむい。ねむい。それ以外の感情を失いつつあります。こたつと布団がお友達です。無限にごろごろできます。外に出たくない。

 

さて、今も半分頭は眠りながらブログを書いています。寒くなってくるととにかく眠いのです。ご飯もたくさん食べたくなります。人間の体って不思議だなあと思います。ついこの間まで35℃とか40℃とか言っていたのに、いつの間にか最低気温が10℃を下回るようになって、それでも眠くなりつつも普通に生きていけるのも不思議です。あの暑さってなんだったんだろうなあと思います。

 

寒くなってとにかく眠気がとれなくなると、半分死んでいるみたいな気分になります。まあでもだいたい春になると元気になるので、こればっかりはそういう体質かなあと思って諦めています。

 

寒くて眠くて頭が動かないのでどうしようもないのですが、半分死んでいるみたいな感じなので、春になってあたたかくなると生き返った感じがして楽しいです。ああ生きてたなあと思います。そのときを楽しみに冬の間はとにかくまったりぬくぬくするしかありません。

 

こんな風に波があるからこそ、生きている感じがするんだろうなあと思います。落差があってこそエネルギーが生まれてくるという感じでしょうか。ずっと一定だと先は見通しいやすいのかもしれないけれど、私ならきっと飽きてしまうだろうなあと思います。

 

ねむいので残念ながら話のオチが思いつきません。しかしこれも冬だから仕方がないと思うしかありません。冬になるとだいたいのことは「冬だから仕方がない」と思えます。ある意味で自分にいちばんやさしくなれる季節だともいえるかもしれません。

 

だいたい自分に厳しくしがちなので、そういう意味でも冬は好きです。ちょっと自分にやさしくしてあげようという気分になります。お布団でぬくぬくしとけばいいじゃない、という感じです。こたつでごろごろしとけばいいじゃない、冬なんだから、という気分です。

 

そんなわけで、しばらくは冬眠モードです。せっかく痩せたのであまり太らないようにはしたいなあと思いつつ、まあ冬ですからね、という感じです。春にはやく来てほしいような、そうでもないような感じで、まったりごろごろしながら待ちたいと思います。とりあえず寝ます。あしたは出張なので寝坊しないようにだけ気を付けます。おやすみなさい。