いろいろ考えるブログ

株式会社ベンチャーネットでいろいろ担当しているタケダがいろいろ考えるブログです。

夏休みです

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしはただいま夏休み中です。夏休み中なのにブログは書くのか、という感じですが、半分仕事で半分仕事じゃないみたいなものなので、せっかくだから書いておこうというところです。

 

さて、大学を卒業して東京に戻ってから、早5年以上が経ちました。わたしはいろいろなところを転々としており、高校生までのあいだに東京(23区)に住んでいたのは3年で、それとあわせると8年ちょっとになります。他のところに住んでいたのは、京都に4年とか、岐阜に5年とかなので、30年弱の人生の中で、いつのまにか東京が一番長く住んでいる街になりました。そう考えると都会の人間といっても間違いないはずなのですが、いまだにどうも東京になじめている感じがしません。

 

東京、人の多い街です。私の家は23区の中でもはじのほうにあるので、そこまでではありませんが、ちょっと買い物に出ようとすると平日でも週末でもとにかくたくさん人がいます。渋谷とか新宿とかなんていくと、いったいどこにこれだけの人が暮らしているんだろう、と思ったりします。

 

そんな人の多い東京も嫌いではなかったりするのですが、お盆のこの時期は、東京もいつもよりちょっと人が少なくなって、なんだか新鮮な感じがします。みんな地元に帰ったり旅行にいったりしているのでしょう。よくいくお店もなんだかいつもよりちょっとまったりした雰囲気です。夏だなあ、と思います。時間の流れがいつもよりちょっとだけ遅くなっているような感じです。

 

そういえば、大学生のときに住んでいた京都は、いつもこのくらいのスピード感だったなあ、となんとなく思い出します。いや、もしかしたらもっとゆっくりだったかもしれません。けれど、よく考えると、わたしが京都にいたころはようやくスマートフォンが普及し始めたところだったので、街の問題というよりも、そういう技術の進歩の問題かなあ、と思ったりもします。もしかして、いま京都にまた住んでも、あのときの時間の流れとは変わってしまっているのかなあ、と思うと少しさみしくなります。

 

そんなわけで、まったりした気持ちでブログを書いています。なので、とくにオチはありません。夏休みなので仕方がありません。今年の前半は、気付いたらわーっと過ぎ去ってしまって、いろいろなことがあったなあ、という感じです。あと何日か夏休みをのんびり過ごしたら、またわーっと頑張ろうかなあ、と思います。

楽しいことをする

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは部屋にスタンディングデスクを導入しました。といっても、机を買い替えたわけではなく、いままで使っていた机の上に、小さな机をのっけただけです。今も立った状態でこのブログを書いています。意外と快適です。遅ればせながら流行り(?)にのってみたところです。

 

さて、私はできるだけ楽しいことをして生きていきたいなあ、といつも考えています。最近は、仕事とか、トレーニングとか、楽しいことが多くてとてもうれしいです。あとメンタリストDaigoさんのニコニコチャンネルにもはまっています。お風呂上がりの動画タイムの楽しさが増しました。

 

けれど、楽しいってなんだろう?とあらためて考えてみると、これはとてもむずかしい問題です。ぱーっと遊ぶとか、買い物するとか、そういうことの楽しさもあれば、仕事とか、トレーニングとか、しんどいけど楽しい、みたいなものもあります。

 

いろいろ考えていて、ふと思ったのは、「なんのためにそれをやっているのか?」というところかなあ、ということです。何か目的があったやっていることだったら、当然その目的が達成されたときにうれしさとか、楽しさとか、ポジティブな気持ちがうまれます。あるいは、目的が達成されたときのことを想像して、わくわくする、ということもあるかもしれません。

 

けれど、これには少し問題もあって、がんばったけれど目的が達成されなかったときにどうなるか、ということです。やっぱりそのときはなかなか楽しいとは思えないだろうなあ、と思います。むしろ悲しいとか、むなしいとか、ネガティブな気持ちになってしまうことのほうが多いです。やりきるまでの途中の道のりでも、目的が達成されたときのことを想像する人もいれば、反対に「失敗したらどうしよう」「目的が達成できなかったらどうしよう」と心配になって、途中の経過を楽しめないこともあると思います。

 

そう考えると、何か目的があってやること、というのは、楽しくなる可能性もあるし、そうではない可能性もあるし、というちょっとした賭けのようなものかもしれません。なので、そういう賭け事が好きだ、という人には向いているのかなあ、と思います。

 

わたしはどちらかというと心配性なほうなので、賭け事のようなものはあまり好きではありません。なので、「何か目的があってやる」ことよりも、「特に目的はなくて、それをやること自体がなぜかよくわからないけど楽しい」ことのほうが向いているなあ、と思います。

 

例えば、少し前にはじめたランニングも、以前は「なんでみんなわざわざ走ったりするんだろう」と思っていました。けれどやってみたら、確かによくわからないけど楽しいのです。別に移動するためなら、もっと早くて便利で楽な方法があります。健康のため、というような目的もあるかもしれませんが、健康のためならランニングまでしなくても、ちょっと多めに歩くぐらいで十分、という話もあります。ダイエットというのもありましたが、ダイエットにはランニングうんぬんより食事次第だなあ、と気付き、むしろいまはランニングをもっと楽しくするために身体を軽くしたいなあ、という謎の逆転現象が起きています。

 

もちろん、なにか目的をもってがんばる、というのも素敵なことです。けれど、そればっかりでは疲れてしまいます。目的をもってがんばることもやりながら、けれど「よくわからないけど、とにかく楽しい」という自分の感覚も大切にして、バランスよくやっていきたいなあと思います。

なくなるもの、なくならないもの

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは夏休みを楽しみにしながら働いています。今年は温泉に行くことにしました。パソコンを置いてまったりしようと思います。ホテルでお茶を飲みながら本を読む予定です。大人になったなあ、という感じです。

 

さて、私はさいきん断捨離したい欲が高まっています。だいたいテストの前とか、仕事が忙しいときとかによくあらわれる現象です。ダイエット中なので、痩せたら新しい洋服を買って、今の服を整理しようと計画中です。クローゼットをひっくりかえすの、楽しいです。

 

日々生活していると、どんどんいろいろなものが身の回りに増えていきます。資本主義だなあ、と思います。ものだけではなくて、肩書きとか、属性とか、そんなものも気が付くとついてきます。面倒な世の中です。

 

たまに、自分がもっているものと、自分自身との区別がつかなくなるようなときがあります。ブランドものを持っているから、自分もそのブランドと同じくらいすごい人間なんだ、みたいな感覚といいましょうか。反対に、ボロボロの服を着ているとなんだか自分もすごくダメな人間になったような気がしたりします。

肩書きなんて特にそういう力が強いと思います。ひとりの個人としての自分がいなくなって、おでこに肩書きを書いた紙を貼り付けて歩いているみたいな感じです。

 

最近は、そういう感覚になっても、「あ、これはダメなやつだ」と自分でなんとなくわかるようになりました。なので、いったん落ち着いて自分と自分がもっているものとを切り分けることができるようになってきた気がします。

 

そういう感覚に気付けるようになったのは、一度ぜんぶなくなったことがあるからかなあ、と思います。体調を崩して、前の職場をやめたとき、「京大卒」とか「キャリア官僚」とかそういうものがすべて意味のないものになりました。日々生き延びるだけで精一杯で、ずっと同じパジャマを着ていましたし、大好きだった本も頭に入らず読めなくなりました。身の回りにあったものなんて、ないも同然の状態でした。

 

そのときは本当につらくて、これほんと死ぬんじゃない?なんて今考えると大げさなことを真剣に感じていて、けれど、そんなことを考えているということは生きているということでもあります。何もないけれど、生きているし、だからこそ身体のいろいろなところが痛くて辛かったりもする。

 

少しずつ元気になって、頭がはたらくようになって、なんにもなくなったけど生き延びちゃったなあ、と思いました。けれど、意外とそんな状態は楽しくて、身軽で、なんだかなんでもできるような気がしました。

 

いまもっているものは、いつかなくなるかもしれません。自分と自分がもっているものとの区別がつかなくなっているときは、「それを失ったら自分は自分でなくなってしまう」ととても不安になります。そのおかげで頑張れることもあるかもしれませんが、人間がんばれないときだってありますし、頑張っていても失ってしまうことはあります。

 

けれど、いろんなものがなくなっても、意外と人は生き延びてしまうみたいです。そして、いろんなものがないほうが、身軽で、自由で、新しいことができるようになったりもします。

 

いろんなものがあふれている世の中で、ついついそういうものに縛られてしまうことがあります。なので、たまに落ち着いて自分と自分のまわりを見渡して、自分が縛られているなと気付いたときには、それを1つずつほどいて、できるだけ身軽にしていきたいと思います。

早く30歳になりたい

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは筋トレをがんばっています。筋肉痛がすごいです。そんなところに筋肉ってあったのかあ、という感じです。いままで気づかなくて申し訳ない。

 

さて、先日、運転免許の更新はがきが届きました。無事故無違反の優良ドライバーなので、ゴールド免許になります。ちなみに教習車以外の車を運転したことはありません。

 

それはさておき、運転免許の更新はがきが届いたということは、もうすぐ誕生日です。誕生日が来ると、28歳になります。年齢の近い友人たちのあいだでは、既婚未婚問わず、誕生日が嬉しくなくなってきた、という声が増えてきたように感じます。

 

わたしはどちらかというと、早く30歳になりたいなあ、と思います。最初にそう思ったのは、たぶん高校生のときです。なんとなく、「お嬢さん」として扱われることに対するめんどくささを感じていたのだと思います。なぜそのとき30歳が目安になったのかはわかりませんが、27歳になって、いまだにお嬢さん扱いされることがしばしばあることを思うと、間違っていなかったのかもしれません。

 

今は、お嬢さん扱いというよりは、自分の経験がまだまだ足りないことに対する不安感とか、もどかしさとかが原因かなあ、と思います。

女性の年齢のはなしって、なかなか面倒なことが多いです。「女性の価値は若さだ」みたいな極端なはなしをする人もいます。たしかに「若い女性」というだけでなんとかなることってしばしばあって、自分もその恩恵を受けていると思うとそれはそれでもどかしかったりします。

けれど、やっぱり仕事をする上では「若さ」ってネガティブに捉えられやすいように思います。お客さんだって、仕事を依頼するなら、経験があって安心できる人に任せたいと思うでしょう。もうちょっと落ち着きとか迫力とか出せるといいのになあ、という場面がたまにあるのですが、あまり無理をしても空回るような気もしてしまって、結局いつもどおりへらへらしているしかなくて、なんだかなあ、と思ったりします。

 

じゃあ見た目が老けていればよいのか、紫外線をたくさん浴びればよいのか、というと、そうでもないところが厄介です。シミとかシワとかがたくさんあるからって、「安心して仕事を任せられる」と思われるわけではないでしょう。けっきょくは、地道に日々いろんなことをやっていって、それが結果として見た目にも落ち着きとか迫力となって表れるのを待つしかないんだろうなあ、と思います。

 

そうすると、「早く30歳になりたい」というのはむずかしい願いということになります。あんまり早く過ぎ去ってしまって、何もしないまま30歳になっても意味はないのだと思います。すこしずつ進んでいって、「これが私のなりたかった30歳だ」と思える、そんな30歳の誕生日を迎えられるといいなあ、と思う28歳の誕生日目前です。

夏のおもいで

こんにちは、タケダです。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

わたしはダイエットジム(ライザップではない)に入会して、ダイエットに邁進しています。食事の管理もあって、最初の5日間は炭水化物も肉類もNGだったのですが、今日で6日目です。というわけで、お米とお肉を食べました。おいしいです。野菜ももりもり食べます。おいしいです。

 

さて、このブログもダイエットブログにしてしまおうかと思いましたが、いちおう会社の公式なブログなのでさすがにやめておきます。やめておいて何を書こうかと思ったのですが、何も思いつきません。ネタ切れです。何回か前の記事でもネタ切れだ、と書いた気がします。引き出しが足りないようです。

 

そういえば、最近はとても暑いです。ニュースでもその話題が多いですね。岐阜と京都がよくとりあげられていますが、実はそのどちらにも住んでいたことがあります。岐阜に住んでいたのは幼稚園から小学校3年生のあいだで、京都に住んでいたのは大学の4年間です。

たしかにどちらもとても暑いところでした。夏は暑くて冬は寒い、盆地の気候です。

 

岐阜のほうは子どものときだったので、暑い中で走り回ったり、夏休みも学校のプールが解放されていたので、近所のお友達とプールに行ったり、いまでは想像がつかないくらいアクティブに過ごしていました。もともと肌は白いほうなのですが、当時の写真をみると真っ黒に日焼けしています。(そして同じ年の冬の写真では真っ白に戻っていて、子どもの新陳代謝ってすごいなあと思います)学校の裏山でセミをつかまえたりもしていました。平和です。

 

京都にいたころは、ワンルームマンションで一人暮らしをしていました。お金がなかったので電気代を節約したくて、クーラーは使いませんでした。(いま考えるととてもよくない)寝るときはアイスノンをしていたのですが、5~6時間で冷たくなくなるので、それで目が覚めて、涼しさを求めて大学の図書館に行きました。暑さで起きて、図書館に行って本を読んで、学食でお昼ごはんを食べて、また図書館に戻って、日が沈むころにスーパーで買い物をして家に帰る。週3回ほど夕方から夜にアルバイトをしていましたが、それ以外は、平日も休日も、夏休みも、だいたい同じ生活です。

 

セミやらなんやらがわんわん鳴いていたり、部活に勤しむ人たちの声だったり、ちょっと遠くから聞こえるそんな雑多な音を聞きながら本を読むのが好きだったなあ、と思います。あまり大学生らしい青春というのがないのですが、あの図書館での時間が青春のような気もします。

 

今年の夏は、仕事で忙しくなりそうです。まったり何もせずに過ごすのも好きですが、久しぶりにわちゃわちゃした夏もいいかなあ、という気がしています。まずはひとつずつ、やっていきたいと思います。

コンプレックス

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしですか。

わたしはいきおいでダイエットジムに入会しました。実はいまこの記事を書いている1時間後に最初のトレーニングがあります。どきどきしています。来週ブログが更新されなかったら、そういうことだと思ってください。どきどきしているのでだいぶ適当に書いている感じがあり、自分で「そういうことってどういうことだろう」と思っています。どういうことでしょうか。

 

さて、私の通っていた京都大学では、なんとなく「アカデミック」という言葉が強い力を持っていたような気がします。理系はほとんどが修士までいきますし、文系でも大学院の進学率は高かったように感じます。私は経済学部でしたが、ゼミの同期はたしか3割くらいが大学院に進学していました。

 

専攻分野にしても、実学的な分野より、「そのまますぐには役に立たない」分野の方がなんとなく偉い、というような空気がありました。経済系でいうと、進学先としては公共政策か経営管理大学院(いわゆるMBA)か経済学研究科かのほぼ3択だったのですが、公共政策と経営管理の場合は「へー、そうなんだあ」、経済学研究科の場合は「ほえー、すごいなあ」というような感じがありました。(※個人的な印象です)

 

確かに、大学院に進学する人たち、特に実学的でない分野に進む同級生たちはとても優秀だった印象があります。けれど、逆にいうとそういう「アカデミックな方が偉い」という空気のなかで、そう見えていただけかもしれません。

 

そんな環境のなかで、わたしは大学院に進まないで就職することになんとなくコンプレックスを感じていました。じゃあ大学院に行けばいいじゃないかという考えもあります。けれど、単純に私にはアカデミックな世界は向いていないだろうな、という直感がありました。むしろ、その「向いていない」ことにコンプレックスの基があったのだと思います。

 

キャリア官僚になろうと思った理由のなかには、就職後に海外の大学院に留学ができる、ということもありました。「アカデミック」とその対に置かれることの多い「ビジネス」に対して、そのどちらとも違う「パブリック」を選ぶことでコンプレックスをごまかそうとしていた、という部分もあると思います。

「アカデミック」にコンプレックスを感じながら、そこに並びたいという気持ちで「パブリック」を選んで、心のどこかで「ビジネス」の世界をバカにしていました。

 

いろいろなことがあって、キャリア官僚をやめて、そんな「ビジネス」の世界に飛び込みました。あっという間にもうすぐ2年が経ちます。ただシンプルに、「ビジネスってすごいなあ、おもしろいなあ」と感じる日々です。

世の中にはいろいろなビジネスがあって、人の役にたっていたり、たっていなかったり、役にたっていないことが大切であったり、こうやって回っているのだなあ、知らない世界がまだまだあるなあ、と思います。学生のときにぼんやり考えていた「アカデミック」「ビジネス」「パブリック」なんていう線引きも、別にどれが偉くてどれが偉くないとか、上だとか下だとかいうこともなく、それぞれに役割があって、その価値は人によっていろいろだし、なんであんな不思議なコンプレックスを抱えていたのだろう、と思います。

 

先日、官僚時代の同期たちと飲みに行きました。職場に対していろいろな葛藤を持ちつつ、けれどみんながんばっているんだなあ、と思いました。辞めたばかりのときにはなんとなく劣等感があって、公務員なんて、みたいな気持ちもありました。後ろめたさとかいろいろなネガティブな気持ちがありました。いまはなんとなく、フラットな気持ちです。みんながんばっているし、わたしもわたしなりにがんばっています。それって素晴らしいことだなあ、と思います。

 

わたしの場合は、たまたまばたっと倒れたことがきっかけで、いろいろなことにあきらめというか、なんとかなるさという気持ちがうまれました。そうして、こういうコンプレックスが解けていったように思います。おかげですごく楽になりました。あのとき倒れといてよかったなあ。

 

たぶんまだ自分のなかには、自覚できていないコンプレックスがたくさんあって、勝手に苦しんでいる部分があるのだと思います。けれど、きっとそれも何かのきっかけで解けていって、また少しずつ楽になっていくんじゃないかなあ、という気がしています。気長にそのときを待ちながら、いまできることとか、楽しいこととかをやっていこうと思います。とりあえず、ジムにいってきます。

お仕事してます

こんにちは、タケダです。

みなさま、いかがお過ごしですか。

わたしはねむいです。とにかくねむいです。無限に寝れる気がします。しかしやりたいこともたくさんあります。葛藤です。

 

さて、私はこのブログをはじめたときに、「ベンチャーネットという会社でいろいろやっています」と自己紹介をしました。しかし、いろいろとか言っているわりに、このブログではいちども仕事の話をしたことがない気がします。もしかしたら、Twitterをご覧になっている方は、タケダはたまに記事を更新して、月末になると借金玉さんに記事と請求書を催促しているだけだ、と思っているんじゃないか、とふと気づきました。(そして借金玉さんから6月分の請求書がまだきていない気がします)

 

そんなわけで、お仕事の話です。

最初は、書類整理のバイトをしてほしい、という話で友人から紹介されました。社内のいろいろなところに散らばった書類を集めて、順番に並べて、抜けがないかチェックするお仕事です。

そうこうしているうちに、社長から「記事とか書かない?」と言われました。「よくわからないけど書きます」ということで、ライターの師匠を紹介してもらい、弊社で運営しているサイトの記事を書いたりしていました。

 

ベンチャーネット、名前の通りベンチャー企業です。なので、「これできる?」「よくわかんないですけど、まあできるんじゃないですかね」の繰り返しで、いろいろやるようになりました。

いまは、経理的なこととか、総務的なこととかもやりつつ、SEOマーケティングオートメーションのコンサル擬きとして修行中です。最近はお客さんのところに行くことも多くなってきて、ばたばたしながらもなんとかやっています。

 

いまやっている仕事にもともと興味があったかというと、正直まったくありませんでした。興味がないというよりは、そもそもそういう仕事の存在を知らなかったのです。

ベンチャーネットにきてから、世の中にはいろんな仕事があるんだなあ、とよく思います。自分や会社の人たちがしている仕事もそうですし、お客さんや取引先の方を見ていても思います。

 

前の仕事を辞めたときは、自分なんか何の仕事もできない、もうダメだ、と思ったこともありました。けれどいま思い返すと、世の中の仕事のほとんどを知らないまま、想像というか、妄想というか、勝手に自分で思い込んでいただけなのかもしれない、と思うようになりました。

 

いまはなんとなくですが、まあなんとかなるかな、という気がしています。そういう気分でいると、「これやってみる?」と聞かれたときに「よくわかんないけどやってみます」と言えて、できたりできなかったりして、新たな発見があったりして、いい循環になっているみたいです。

 

さすがに最近はいろいろやりすぎている気もしていて、そろそろ仕事を整理することも必要かなあと思いつつ、今までやったことのないこともとりあえずやってみるという気持ちを忘れないでいきたいと思っています。